2-9. さよなら-上海-

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朝起きて、私に対してやさしく接してくれた中国人の彼とお別れをした。必ずいつか彼の故郷に行きシベリア虎を見てみたいと思った、その時は英語でコミュニケーションをとって。

同部屋に日本人のおすすめだという鴨とチャーシュー(港式という香港式の中華料理だという)を食べたのだが、これが最高においしかった。それで300円しないというのだから驚きである。食のせいで中国にハマる人の気持ちがよくわかる。

昼からの便でウルムチ地区に向かうというんで、ここで約3日間一緒に過ごした初めての日本人の友人とお別れをした。日本での再会を誓いながら。

昼からは、向こう側の世界、つまりは浦東地区の高層ビルで働く日本人に父の紹介で会いに行った。

日系ビルが多く立ち並ぶこの土地の昼間は川の向こう側とは大違いである。
皆綺麗なオフィスカジュアルを身にまとい、ごみ一つ落ちてない。
女性は皆日本人のような身だしなみであった。

私は今の中国で働く彼に、今の中国の可能性、そして消費者にとっての天国と言われる日本を自ら望んで離れるのはなぜなのかを聞き出したかった。

しかし、私が最も鞭うたれたのは言語と技術についての話であった。
渡航前に中国語を学んではいたが、もちろん現地の人のように話せるわけではなかったという彼に、それでも仕事はできるのか?と聞くと。

『ここには全国から優秀な中国人が集まっていて、日系の企業で働く彼らは日本語もしゃべれるから大丈夫です、しかし、本当の意味でのコミュニケーションをとるためには中国語ができなければいけない。』

そして、海外で仕事をするにあたって一番大切なことを話してくれた

『それは技術、知識です』と『言語はあとからついてくる、必要なのは会社にとって、その国で働くための、求められる知識と技術です。』

私の多くの友人が言語を学ぶために海外に留学しているが、彼ら(私も含めて)は、もし海外で働く、または英語を扱う上での技術や知識の習得は怠っているようにも思う。

たとえば宿にいた3か国語を操る彼女(観光地で働く多くの中国人もだいたい3か国語は話すだろう)も、そこで安い賃金でアルバイトをしているのは知識と技術が伴っていないからなのだろう。

逆に言うと、会社に入り多くの経験をしてから海外に留学したほうが有意義という見方もできる。
私は何も得なかった大学時代、そして何も得る前に日本を旅立ったことを少しばかり後悔してしまった。

午後からは、同部屋の日本人 が進めてくれた新場という地区に行ってきた。
日本の感覚からいうと狂ってるとしか思えない運転のローカルバスに乗り約1時間、そこは観光地化されてない小さな西塘であった。
中国の古い町並みを残すために保護されているその地区は、その場で生活する中国人を垣間見ることができ、静けさの中にある運河はより心に安らぎをくれる。

歩き回っていると中学校か高校らしき学校に出くわすのだが、その他の建物が汚く、今にも壊れそうなのに対して、学校は綺麗で、多くの車が送迎のために迎えにきていた。
小皇帝と揶揄される中国の子供の愛され具合は、街中でも見かけることができる。
店先には子供用の乗り物があり、多くの子供用の服屋がある、それは、多くの人が子供のために消費していることが分かる光景であった。

この日の夕食も同部屋の日本人とともにした、歩き回り試しに入った羊肉の店は、あまりおいしくなかったが、文字からどのような食事か想像して頼むのも、中国旅行の楽しみの一つである。

翌日、心残りのないように食べておきたいというので、前日と同じく鴨とチャーシューを食べられるほかの店に出向き、彼とはお別れした。
日本を離れ、初めてできた日本人の友人であった、日本での再会と旅の安全を祈りつつ私は彼のいなくなった外灘を歩き回った。

多くの感性をくれたこの地とも今日でお別れである。
私は旅行先の一つとして必ず上海を勧めるだろう、ここには富と貧があり、美味しい食事がたくさんある。
とても素敵な場所だった、と思いながら空港へ向かう。

…中国編-完-


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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