3-19. 首都-オタワ-

Ottawa_-_ON_-_Parlamentsgebäude_(Centre_Block)

 

日本に住んでいる人々なら、東京が『首都』と言われることに対して何の疑問も抱かないだろう。

東京は、日本人の10%が住む都市であると同時に、観光・経済・政治のすべてをその一都で担うまさに大・大・大都市なのである。

それに比べるとカナダの『首都』は、かなり異なって見える。

カナダの首都は、カナダ1であり、北米第三の都市であるトロントでなければ、バンフやナイアガラ、またバンクーバーと言った観光客に人気のスポットでもなく、ケベック州に見られる古風の建物を有した都市でもない。

オンタリオ州に位置するオタワは、トロントからは遠く、ケベック州モントリオールから車で二時間の距離に位置する、カナダの行政をつかさどる首都である。

そんなオタワに、モントリオールに招いてくれた友人のと一緒に、日帰りで観光に行ってきた。

人口で言えばカナダ4番目の都市であり、多くの人に『オタワに行くんだけど、何か見どころある?』と聞くと、『んー、いい美術館がたくさんあるって言うよね』というだけであった。

そんなオタワについて私が最初に抱いた印象はこうであった。

『ここは、貧困国か独裁国家か何かなのだろうか?』

上記したように、『観光』でも『人口』でも『経済』の中心地でもない『首都』に行くのは、私の記憶が正しければパキスタンのイスラマバード以降初めての体験で、イスラマバードはそのほかの都市に比べて、不自然に綺麗で立派な建物が多く、人が少なかったのである。

カナダの首都・オタワも確かに、メインの通りには観光客らしき人々が行き交い賑わっているのだが、一つ路地をそれると、そこに人通りは見えなくなり、公園は不自然なほどに美しかった。

それは、多くの旅人に聞く『独裁主義国家』の首都の特徴であるように思えた。

しかし、それは何も特別なことではなく、『首都』とはその国の顔であり、その国をよく見せるために装いが必要で、その装いが他国からの評価につながったりするのであろう。

そういえば、小学校の授業参観の時、子供たちには『緊張しないでいつも通りのみなさんを見せましょうねー』と言いつつ、自分だけはいつもの数倍のおめかしをして、綺麗にスーツを着こなしていた先生を思い出す。私はそれが大っ嫌いであった。

『おいおい、いつもの授業風景じゃないじゃん』

と心の中で突っ込んで見たものだが、今になればその気持ちは分かる。
人は見た目と初対面が9割である。

その美しさと人の少なさに違和感を覚えたものの、都市規模と作りで言えば、それは、東欧を旅行していたときに私が覚えた、『コンパクトさ』と『自然と都市の融合』と言った、住みやすさと観光の心地よさを合わせた素晴らしい都市であった。

とりわけ、国会議事堂前の芝生の上で多くの人が寝そべり、アフガニスタンのヒューマンライツのような演説の準備を眺めていると、カナダの政治の中心地において自分がその一部であるような気がしてうれしかった。こんなところで2014年にカナダ全土を揺るがした『ダーイッシュに憧れた男のテロ』が行われたとは考えられぬほど、オタワはそれこそカナダを象徴するような平和と美しさで包まれていた。

日帰りということと、美術館恐怖症ということから、私たちは唯一戦争博物館に足を踏み入れた。
閉館間近に入り、足早に駆け抜けた私はどうしても違和感を感じずにはいられなかった。
戦闘機や戦車の展示に男心をくすぐられ、第三次世界大戦シミュレーションモニターで感動したり、楽しませてはもらったのだが、そこには『戦争の歴史』を展示するうえで何か感じなければいけないような感情が欠落しているような気がしてしょうがなかった。

『悲しみ』『悲惨さ』『残酷さ』

戦争が語られる上で、学ぶ上で、日本人ならば必ず、義務的のように感じなければいけないであろうそんな感情を湧き起こす展示が、オタワの戦争博物館には見当たらなかったのである。
まるで科学博物館のような、『興味を持ってもらう』という部分に焦点を当てられた実に商業的で楽しい博物館であった。

『これでいいのか?』と思いつつも、『これでいいのだろう』と思う自分がいる。
200年以上も現在のカナダ圏が主戦場になった戦争がないのだ。
先の大戦や中東での紛争で死傷者が出ていようが、やはりこの差は大きいのだろう。

『War is all kinds of hell』

本当に心からこのように言える国は主戦場となって自国領土と人を傷つけられた国の人なのだろう。
例え70年たとうが、日本が『戦争』というものを展示する際にそんな悲惨さを伝えなくなることはないだろう。
悲惨な歴史を持つ国で生まれた一人として、何の罪もない一般の人々が傷つくような惨事に対して本当の意味でNoと言わなければならない、国民であることを、そんな『悲惨さ』が薄いカナダの戦争博物館は改めて自覚させてくれた。

早く相撲でもとって領土問題が片付く時代が来ればいいとおもうのだが…。

オタワは、日帰りでは足りないほどであったが、一週間もあれば隅々まで見ることが出来るであろう、そんな『大都市疲れ』のない素敵なサイズの街であった。ぜひ機会があればもう一度行ってみたいものである…。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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