2-41. 美しい-エレバン-

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余談ではあるが、昔、私が大学の工学部に所属していたときに、先生から『この学科がより人気になるための方法ない?』と軽い相談を受けたことがある。

私はその時、恐縮ながらも二つの指摘をした。
一つ目が入学案内のパンフレットだ。
どうしてあんなにもダサいのだ?これでは人々が工学部に抱く汚いというイメージを払拭することが出来ない。
根暗で、陰湿なオタクが機械をいじる時だけ笑っている、パンフレットからはそんな印象しか受けることが出来ない。
二つ目が女性の割合だった。
逆差別と言われようが、どうにか頑張ってどんなにバカでも女性の生徒数を増やすべきだと。
女性のエンジニアが少ないことが必ずこの国の工業を衰退させることになる!

と偉そうにも言っていたのだ。

さて、話を旅行記に戻そうと思う。
国境越えと言うのは言わずともわかるように、国が変わる。
国が変われば文化も人種も変わる。
それは中国からインドに行ったときは当然のように感じたが
インドからネパールでも、インドからパキスタンでも感じることが出来た。

同じイスラム教においても、 パキスタンとイランでは街の美しさも、人々もまったく異なっていた。

私はその都度感動を覚えて、国境を越えたことを実感するのだが。
今回のイランからアルメニア。正確にはテヘランからエレバンへの変化が私は一番衝撃を受けた。

もちろん、中国からインドに行った時も、当然のように違う人々を目の当りにしたのだが、その時は空路を使ったため、あまり驚くことはなかった。

だが、ここアルメニアはイランの隣国なのだ、私は陸を通ってこの地に来た。

私は自分に失望した。自分の知識のなさと、そしていまだにあるイメージと現実の差に。

そもそもが私はいまだに『日本と欧米と一部の中国、そして韓国』 以外は民族的な生活をしていると思い込んでいる節がある。

さらにこの国は山に囲まれた国だ、私はパキスタンのフンザのような田舎美しい光景を想像していた。

先に説明しておくと、アルメニアと言う国は確か初めてキリスト教を国教とした国である。
つまりここにイランとの宗教的な差がある。

それは承知していた、だがエレバンに入ってみて私の知識がいかに少なく、私の想像力がいかに幼稚であるかを思い知らされた。

ヨーロッパ側からこの国に来ればそうは思わないのだろうが、私はまず街を歩く女性の多さに驚く。
女性、女性、女性、男性はどこにいったのかと言うほどこの国は女性が街を歩いている。

さらにその町並みである。それは私の想像するヨーロッパであった。

美しすぎる、物価が安いなんてことが私は信用できないでいる。

美しいのは町並みだけではない、私は街歩く女性すべてに一目ぼれしているといっても過言ではないだろう。
それだけ顔面偏差値の高い国なのだ。

そこで思い出したのが冒頭で述べた学科の話である。

私がイランに疲れたのも、やはり目の保養と言うべき美しい女性の肌を見ることが出来なかったからなのではないのだろうか?
大学4年間の学科生活で私が抱いていた不満と同じだったのではないだろうか?

女性の存在は私たちの心に安らぎと安心を与えてくれる。女性は生まれながらにして皆マリアだ。

私はイランで得た情報をもとに、普通の民家に泊まっている。
そこにはエレバンにいる日本人が全員集まっているといっても過言ではないだろう。

私は久々の日本人との会話と、デリーぶりのビールに感動し。
そして、一か月前なら長期旅行者に恐縮していた自分が、中東で感じたことを話せていることに驚いている。

成長しているのだ、旅を重ねて、自分の考えがかたまり、知識が増えていっている。

あぁ、どうしよう、ここにはなんにでもある。仲間がいて、食事がある。
綺麗な街と女性がいる。
酒がある、クラブがある、女が抱ける。

いようと思えば何日でもいられるが、私はそうなると早くぬけださなければという矛盾が生じてしまうのだ。
でも、もっといたい、ずっといたい。

国際学生証を作る合間にこの記事を書いている。

私が記事が途絶えたら、もう危険な目にあったと思うのではなくて、こう思ってほしい。

あいつは街と女性の美しさに溺れたのだと。

さて、次の更新ができることを祈りながら、本物の偽物学生証を受け取りにいくことにしよう。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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