2-78. シエナを愛して、シエナで生きる-シエナ-

Siena5

イタリアのシエナに来て10日間になる。

その間、何をしていたかというと、フィレンッツェに一度行ったきり、あとはずっとシエナにいる。
一度落ち着くと、近隣であっても行ってみようという気になれないのが私の悪い癖である。

フィレンツェ、シエナに比べると大きく、観光客も多い。
美術品が多く、何よりもフィレンツェはミケランジェロが活動した街。
日本人なら誰もが知ってるであろうダビデ像もある(らしい)。
芸術に対して疎い私は、美術館の前にある模造品で満足してしまったので、何時間も並んで、金を払ってまで本物を見ようという気にはなれなかった。

トスカーナ地方はその建物群の美しさから、上からの景色が何よりも素晴らしい。
ミケランジェロ広場からさらに上がり、教会から見るフィレンツェの街。
どんな芸術だってこの美しさにはかなわない。
わざわざ幾らも払って芸術を見なくても、高台に登ればそこには町一番の芸術品があるじゃないかと思わずにはいられない。

結局、その町並み高台からの景色以外は大した感動もせずに過ごしたフィレンツェの街。
イタリア一日本人妻が住み、多くの日本人が憧れる街だというのに。

その理由の一端には、私が現在シエナに住んでいるということがあると思う。

このブログを見ていればわかるかもしれないが、旅行とは、同時に旧市街巡りのようなものだ。
モスク、教会、建物。どれだって歴史が長いほうが偉い。
そしてそこには観光客が集まり、『旧』市街のくせに新市街よりもよほど整備されて綺麗だったりする。

確かにどれも美しい、ムスリムの国には立派なモスクが、キリストの国には立派な教会が、そしてそれに付随するように美しい町並み。

でも、『その国の、その国の人々の普通の生活が垣間見たい』なんて思ってる私にとっては、それらが外から来る人のために保存しているようにしか見えず、違和感しか感じなかった。

薄汚れたアパートと綺麗に掃除された教会を見ると、薄汚れたアパートの方が、私にとっての旅を見事に実感させてくれた。

その点、シエナという街は、最高だと言っていい。

シエナ、フィレンツェを打ち負かすほどの重要都市だったこの都市はその後衰退し、発展しなかったために、皮肉にもあまり整備されず昔と変わらない町並み、文化に人々が住んでいる。

そこには『見世物』としての旧市街としてではない、新しいも古いもない、ずっと続くシエナそのものがある。

シエナの人々は地区ごとにコントラーダと言われるチームごとに区分され、そのコントラーダごとに、ディスコや教会まである。
そのコントラーダ同士、ライバルや同盟が決められていて、ライバルの主催ディスコには行かないという決まりまであるらしい。
そのコントラーダが一年に二回、パリオと呼ばれるいわゆる馬レースで対決する。
馬に乗って三週するだけのレースだが、買った騎手には何千万という額が与えられ(賞金ではない、各コントラーダで集金して騎手にプレゼントするらしい、故に、自分のコントラーダが勝つと出費がすごいのだとか。)、その一年間はパーティも大きな顔をしてできるとのこと。
シエナ人はパリオのために生きていると行っても過言じゃない。

故にシエナの人々はあまり外に出たがらない、シエナを愛し、シエナで生きる。

我が従兄たちが所属するのは塔(象さん)のコントラーダなのだが、先日はその従兄たちに連れられて、ドラゴのコントラーダ主催のパーティというのに行かせてもらった。
ちなみに、象さんチームは波チームとはライバル同士なので絶対に波チームのディスコには行かないとのこと(こう書くとかわいらしいけども、シエナ人にとっては大人から子供まで本気。)。

何百人という人間が一緒に飯を食べ、一緒に踊る。そんな野外フェスみたいなディスコが毎週のように行われている。

『この料理は不味い、このワインは不味い』

そのパーティで出された食事とワインを不評するので私が

『そうか?イギリスのよりも全然おいしいよ!』

というと『イギリスで美味しいかもしれないけど、ここではそれは不味い』と言われる。

確かに、我が叔母が作り、食卓を彩る料理たちは、我々が日本で恋い焦がれたイタリア料理である。

マルガリータピザ、ボルチー二パスタ、生ハムメロン、おまけにシエナまで車で20分かかるここは、周り一面が畑、畑、畑。ワインも野菜も最高においしい。

『シエナの人は、自分の郷土料理が美味しすぎて、他国のものをあまり受け付けない。』

と叔母が言う通り、私がシエナ出身だったら、なかなか外に出ようとは思えないだろう。
海外でもし醤油や米が手に入らなかったら、私は今すぐにでも日本に帰りたくなっていただろう。

我々日本人にとっての非日常が、そこには日常としてある。
小さな街が、さらに小さく区分されて、人々が争い、しかしそれが逆にシエナという街を形成している。

一歩街を離れればそこは広大なる自然。

私はこの旅で、もう一生ここにいたいと思えたところが数か所あるが、すべてがあたり一面、自然で覆われた田舎町であった。
私が旅に出たのも、住宅地立ち並ぶ我がホームタウンに嫌気がさしたからなのだろうか?

あぁシエナ。ここに生まれ、ここで育ったのなら、ここはどんなに素敵な場所だっただろうか。

私は自分の身内にイケメンでやさしいイタリア人の従兄がいることを、誇りに思わずにはいられない。
シエナに住んでいてくれててありがとう、と。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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