0-2. 僕の就職活動放浪記-入床-

 

Company_Information_Session_in_Japan_003

 

相澤がこういうのに参加するとは思わなかった

12月の初めに参加した合同説明会で久々に再会した高校時代の友人に言われた一言である。

今思うと自分になんと不釣り合いな場だったろうと思うが、
当時の僕は『僕だってこれぐらいの大人らしさは身に着けたのだ。』と言い返したい気分だった。

その日はその説明会に参加した後に、大学の学部記念式典なるものに参加もさせていただいた。
霞が関のビルの最上階で開かれたその式典には我が大学の機械系学科のお偉い様方からその学科の卒業生の多くが参加していた。
皆が遠慮する中、友人と二人瓶ビールを片手に酒を飲みまくった僕達は演説する教授達に盛大に野次を飛ばすことになる。『単位ありがとう!』『材料力学落としたぞ!』という具合に、僕からしたら平均年齢60歳を超える古臭い演説に若い声を吹き込んであげたぐらいの気持ちである。

そこには現在学科を卒業して働いているという様々な社会人も参加していて、多くの方に『働くということ』や『就職するということ』という熱弁をふるっていただいた。
そこで『アリガトウゴザイマス』と言って名刺をもらうと警報機を作ってる会社だったりする。
その時僕は『この人は警報機を作るために高い金払って4年間大学に言ったんだろうか?』と思ってしまった。
よくも悪くもこのときはまだ『自分が納得する形で就職する』ということに絶対の自信を持っていたのだろうと思う。

帰り際に多くの講師達から『相澤君には期待してるよ』とお言葉を頂く。
希望研究室に入るためだけに『大学院を視野に入れてますか?』という問いに『はい』と書いたのを忘れていた。
『とりあえず研究頑張ります』と言って霞が関を後にする。

その後、研究室に顔を出さないばかりか、研究室配属の前身であるいわゆる『ゼミ』の授業すらも欠席しがちになっていた僕はそれでも遊びやアルバイトと並行してESや履歴書の提出、業界研究などに精を出していた。

最初は通らなかったESも通ることが多くなったが、説明会や選考が起きて気づいたら終わっているという事態が何度も発生してしまっていた。

このときに『やりたいこと以外出来ない自分』に気づいてればよかったのだがこのときは
『まぁ、次気を付けよう』ぐらいにしか思わなかった。

そんなだらしなくても熱心に取り組んだ結果、わけもわからずある会社の最終選考まで残ることになる。

いま思うと一次選考でテスト+集団面接+GDを行い、次がもう社長面接なのだから大分少ない選考だった上に、最終選考の面接は何も考えずに行き、お得意の『口から出まかせ』だったにも関わらず、数週間後に来た回答は『合格』だった。

この会社が僕を『合格』にしてしまったことが私に変な自信とこの後の自問自答を生み出す結果となる。

結局この会社には辞退という返答をしたのだが、始業式で久々に会った大学の友人たちに対して僕は鼻高々だった。

『内定一個もらったぜ!断ったけどな!』

という具合に、フル単だったことと重なってこのときの僕は気分上々だったのを覚えている。

しかし、この自信と同時に現れた悩みは僕をこの先ずっと苦しめることになる。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

1件のコメント

  1. SECRET: 0
    PASS:
    バンバンバンバンバンバンバンバンバンバン
    バン  続きハヨハヨ  バンバンバン゙ン バンバン
    バン(∩`・ω・)  バンバンバンバン゙ン
     _/_ミつ/ ̄ ̄ ̄/
        \/___/ ̄        ; ’     ;
             \,,(‘ ⌒`;;)
             (;; (´・:;⌒)/
            (;. (´⌒` ,;) ) ’
      (  ´・ω((´:,(’ ,; ;’),`
      ( ⊃ ⊃ / ̄ ̄ ̄/__
          \/___/

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です