0-3. 僕の就職活動放浪記-揉乳-

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内定を辞退してからの僕はCDをジャケットで買うような、小説を背表紙だけ読んで買うような

そんな就職活動を続けていた。

商社、IT、広代、プラント、映像制作、メーカーと、なんでもありだ、

就職活動を続けていると『会社は直感で選べ』と偉そうに指導してくるベンチャー企業の人事担当を何人も見てきたが
『夢は努力すれば必ず叶う』って言葉ぐらいに成功した人間にだけあてはまる言葉だと思う。

先に言っておくと、僕はこの辞退した内定以降、一つとして内定をいただいたことはない。

4月に友達に嬉々として自慢した自分を殴ってやりたい気持ちになる。

就職活動についてその手の専門の人に相談すると
『ブレない軸を持つこと』
と言われる、結局それが志望動機につながり、内定へと結びつくのだろうが

僕は職種、業種、業界以前に
『やりたくなくても安定した仕事』
『やりたいことを死にもの狂いでやる仕事』
の中で揺れ動いていた、そもそもやりたいことなどないのだが

とにかくブレブレどころが軸がないのだ。

しかし、この時期になるとESが通り、面接も通る機会が多くなる。
こうなってくると『自分の見せ方』においては正しいのだろうと思ってくる。
就職活動を続けて、一貫してブレなかったのはこの『見せ方』のみであっただろう。

僕は『人とは違う経験』として堂々と『ボーイズバーでNo.1経験』を挙げていた。

大学一年生の時に働いていた6、7人しかいない小さな『ボーイズバー』であったが
そこで僕は多くの経験と他人と会話することに対する自信を得ていた。

これは多分『理系学生』が抜けているものだろうと勝手に考え、『数学的な思考』と『コミュニケーション能力』の双方を持ち合わせた人間だということを人事の人間にはアピールしていた。

例えばこうだ

【学生時代に一番力を入れたことは何ですか?】
[アルバイト]
 私は高校・大学を通じて7社以上の会社で5種以上の職種のアルバイトを経験させていただきました。あるアルバイトで、バーだと思って応募したアルバイトが入ってみると小さなホストクラブのような所でした。特技もなく、容姿もよくない私でしたが「入ったからには仕事を覚えるまでは決してやめないぞ」という自分の考えから、お客様に怒鳴られ、叱られても一生懸命働きました。私は目の前にいるお客様を笑顔にするため話をし、店を回すために誰よりも走り回りました。そうしたところ、初めは『ブサイク!あっちいけ!』と怒鳴っていたお客様も、私と会話をするために来店してくださり、店長からは店の開けと閉めや、たまに開店から数時間、一人で店を任されることもありました。この経験は私に継続することの大切さ、仕事に対する姿勢、お客様との接し方など、多くのことを学ばせてくれ、その経験は貴社においても生かすことができると考えています。

僕はES添削などをほぼ受けたことがないので笑いたいなら笑ってくれて構わない
しかしこんな笑ってしまうESでも多くの所で通過したし、面接まで進むことができれば僕が『容姿』や『色気』、つまりは『男としての魅力』ではなく、単純な会話を通した『人間としての魅力』でお客様の心をつかんでいたことを理解してくれると思っていた。
実際、多くの面接では笑いが絶えなかったし、目の前にいる面接官を笑わすことが僕の小さな楽しみになっていた。

しかし、ESや履歴書、1次面接が通っても、2次面接やテストで落とされることが多かった

そんな僕に桜木町の巨大ビルに入る有名メーカーの直属商社から、最終面接のお誘いが来る。
結局原点回帰、『技術営業』という職種、そして『高いビルで働く』『結構高給』という下心で惹かれた僕はそこを『第一希望』と決め、意気揚々と最終面接の幹部面接+GDに挑みに行った・・・。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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