2-29. 平和と変態を考える-クエッタ-

P1020523私はやはりすぐれない体調を直すべく、2時間バザールを歩き、2時間寝るという生活を繰り返していた。

有名なムスリムホテルに泊まることが出来ず、安宿ではないちゃんとしたホテルに私はとまっている。
ホテルの前にはポリスが駐在し、夜に外に出て行こうとすると、従業員に注意される。
とても神経質だ。『クエッタの人々はとてもいい人だよ、だけど、気を付けて。』
確かにクエッタの人々はとても優しい、家に招き、庭でタバコを吸わせてもらいながら老人とお喋りをする。

『昔はたくさん旅行者が来たんだけど…』

何度聞かされたかこの言葉、やはりタリバン報道のせいか…と思いながら
『2004年ぐらいまで?』と聞くと『いや1970年代だよ』という。
…古すぎる。

丁度沢木耕太郎の深夜特急の時代である。
そういえば沢木耕太郎はこのあたりを通るのにビザの取得をしていたイメージがない、昔はもっと通りやすいルートだったのだろうか?
世界では戦争も内戦も減っているけど、中東は昔よりも通りずらくなっているのか?
私は是非世界現代に詳しい人にそのあたりを聞いてみたくなった。
外を歩いていると案の定気分が悪くなったので、部屋で休んでいると、男がビールを隠し持ってくる。
私が飲まないことを伝えると
『どうしてだい!?たった450ルピーだよ?日本人は好きだろ?そしてリッチだろ?』

たしかに好きだが、私は決してリッチではないし、今は体調がすぐれないんだ。そう伝えると今度はハシシを進めてくる。
『やったことはあるけど、今は体調がすぐれないんだよ…』

そういう話をしていると、横に座りだして、おしゃべりを始める。

『これ俺の彼女なんだ!』
『可愛いね!俺パキスタン女性すきだよ。』
『ええ!?日本の女性のほうが断然いいじゃないか!?』

日本の女性は日本で女性として生まれたことを幸運に思うべきである。
私の親しくなった友人に、必ず別れ際に『じゃぁ次来るときは日本の女性をたくさん連れてきて君に紹介するよ』と言うと手を叩きながら抱きしめてくる。
逆に男性はモテる要因と言えばアジアオタクか、金持ちだからかである。
顔面偏差値低ランク国で、さらに顔面偏差値低ランクという世界基準で不細工の姿で生まれてきた自分を慰めずにはいられない現状である。私はこれを日本顔面的男女格差と呼ぶようにしている。

『日本男子にワールドワイドな愛を!!』

さて、話は続く。
ガールフレンドを自慢してきたパキスタニーとの会話は続き、だんだんと夜の営みの話になってくる。

旅行者にとって男女の違いは大きな意味をなしてくる。女性ならば中東の『女性』と接することが出来る、男性にはこれができない。
逆に男性のみにできること、それは下ネタである。

だいたいどこの国でも、自分のイチモツサイズを自虐し、『あなたのはこうだろ!?』と言って腕を振りかざすと、手を叩いて喜び始める。

『日本の写真を見せて!』
というので見せる、これは京都、これはビッグシティ東京さ。
『セクシーガールの写真ないの?』

最初からそれが狙いか…と自由に見させてやると、私のフォルダにヌーディーな女性がいないこととにがっかりしだし、そして見つけ出した。

私の全裸写真を。

3年前、友人と四国を旅行した時にだれもいないキャンプサイトで酒飲み肉くいながら裸になっていた写真だ。
それを見てパキスタニーは二つのショックを受けたらしい。
一つは下野家を剃っていないこと、そしてこう続ける。

『俺のとサイズが同じだ…』

ちなみに私のイチモツのサイズは実に一般的なものである。

『でもほら、俺のはスタンドアップしてもサイズ変わらないからね!君のはきっとストロングなんだろう?』
そういって慰めてやる。『そうさ!ストロングだ!見るか?』

いや、遠慮しておく。

そういっても彼は窓とカーテンを閉めることを要求してきて、鍵まで閉めてほしいと言い始める。

そして彼が次に発した言葉がこうだ。

『私は最初に君を見たときに綺麗な女の子がきたと思ったんだよ。でもうっすら髭があるから男だってわかったんだ』

私はこの時、パッカーの先輩の言葉が脳裏に浮かんだ。
『パキスタンはね、宗教上の問題で女性と触れる機会が限られてるから、君みたいに毛が少なくて髪の毛の長い男が襲われることがあるらしいよ。』

私はその時、そんな馬鹿な!と、私の容姿はホモすら拒絶する出来損ないだぞ!と思っていたが、彼にはどうやら私が女性に見え始めたらしかった、さっき写真でイチモツ見たくせに。

肌を触りながら『ほら、女の子みたいだ…男は毛があるはずだ。』
そして
『俺のイチモツ見るか?見せたら君のも見せてくれ!』
私が『ドンタッチミー!俺は女が好きなんだよ?あんたもだろ?ガールフレンドいるんだろ?』というと
『ジョークだよ!俺ら友達だろ!?』と言う

そのルーティーンが3回か4回ぐらい続く。

私はどこか懐かしさを覚えていた。
この感じは、どこかで…

そう、彼の私に対する接し方は、酒に酔った時に女性と性行為をしたいがために行う私の変態行為と何も変わらなかった。
触り、怒られ、触り、冗談だといいい…運がよければベットイン
悪ければ二度と会うことはない。

私は猛烈に 後悔し、ここにいるであろうアッラーのに謝罪していた。
こんなにも、こんなにも気持ち悪い変態行為を私は麗しき日本の女性たちに行っていたのかと。
すべての女性に謝罪し、気づかせてくれたパキスタニーに感謝したい。

そんな陽気な変態もいれば、ロビーにいると、他のパキスタニーが『日本は、アメリカと仲いいの?』と聞かれ
『日本はどことだって仲良しだよ。』と言うと
『アメリカは糞だ!ビンラディンは最高だ、俺のブラザーだ!皆の英雄だ!』と言ってくる。
私はこの手の話をされた時にいつもこう返す。
『悪いのはガバメントさ、どこの国だって市民はいい人だらけだ。俺はいろんな国の友人を作ったけど、どいつもいい奴だったよ。』
しかし彼は続ける『アメリカは糞だ。ビンラディンは…』

私は正直中東問題も、パレスチナ問題も。タリバンもビンラディンもよく知らない。
政治や歴史という分野を苦手としてきた。

だが、そんな私だって自分なりの考えを持っている。
平和に必要なのは国や地域で見るのではなく、個々で見るということ。
アメリカに攻撃するのは何の痛みも伴わないかもしれないが、そこで生活している善良な市民が死ぬことを想像して、心を痛まない奴は人間ではないと思う。
もう一つは理解しあう、懐の広さだと思う。
宗教でも考え方でも。相手を理解して、許すところ許して。許せぬ一線は超えないこと。

『平和だ平和だ』

パキスタンに対してこう連呼してきた私だが、『アメリカは糞だ、殺してやりたい』そう言っている人々がまだ数多くいるこの国が、平和という一員に入ることは少し時間がかかるかもしれない。もちろん、この平和という一員には、アメリカも含まれているとは思わないが…日本だって。

でも、私は日本が、懐広く、個々で見れる国で、そして平和の架け橋築ける国であってほしいと、強く思う。

海外に来ると柄にもなく平和なんてものを真剣に考えてしまう。
それはある意味、ここが日本と比べるといくらか平和とは逆方向であるという証拠なのかもしれない。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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