2-33. 誤解が招くもの-ヤズド-

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貴方もパキスタンを旅したら、きっとイランに行きたくなることだろう。
パキスタン人はイランに行くと言うと
『それはいいことだ、とても美しい国だよ』
と、どこか羨ましそうにそう言う。

しかし、私にとって、イランの第一印象は決してよくなかった。
たしかに、そこまでのパキスタンの道と比べると、道路は整備され、標識もあり、美しかった。

だが、恐れていた大々的な荷物検査はなかったものの、説明もなしに護衛がつき、タクシーでザーヘダーンまで連れていかれ、そこからテヘラン行きのバスに載せられる。

何故説明がないかというと、国境であるにもかかわらず、英語を話す人間がいないのだ。
やはり会話ができないことは、ストレスと困惑に繋がってしまう。

さらに、私はヤズドで途中下車すると言ったのに、気付いたらバスはヤズドを通り過ぎていた、それを教えてくれたのも、英語を話すパキスタン人であった。
ここがもしパキスタンならば、乗客全員で教えてくれていたことだろう。

私はテヘランまで行ったのち、そのまま国境付近を彷徨うのが怖くなり、その日のうちにヤズドまで引き返す30時間越えのバス移動にチャレンジした。
長距離移動はもう慣れっこだ、問題は滴り落ちる便の問題だけであった。

ヤズドに深夜につき、右往左往していると、英語を話す老人が助けてくれて、安宿の紹介をうけて一泊する。
ここで落ち着いてから、私は初めてイランという国をゆっくり見ることが出来た。

イラン人は、パキスタンよりも、いくらかクールである、いや、紳士的と言った方がいいか。
群がらずに、『やぁ!』ぐらいの挨拶と雑談を求めてくる。
『アイスどこで買ったの?』と聞けばまるごとくれる、インターネットカフェを無料で使わせてくれる。
確かに、美しい人々である。

料理も、ネパールから続くダールとカリーのサイクルから、やっと抜け出すことが出来た。ケパブ。ハンバーグのような肉をライスでもパンでも一緒に食べるのが、ここの料理の基本のようだ。
ちなみに皆は『イラン』と聞いてどのようなイメージを持つだろうか?

ちなみに上海で会ったパッカーの先輩は『豊かな北朝鮮』と言っていた。
確かに豊かさはある、数多くの公園とモスク、そして広い道路は日本の東京よりも、どこか豊かさを感じさせる空間である。

しかし、北朝鮮のように、脅威を感じる国なのだろうか?

歴史と政治と宗教は苦手な私だが、この国に関しては少しだけ勉強した。

イランという国は、中東の中でも比較的民主化された国である。
街を歩けばそれが分かる、何不自由なく人々が歩いている。女性も、義務的に体を布で覆ってはいるが、その開放感はもはや日本以上に感じさせる。

イランにとっての宗教は、道徳のようなものだ。
西洋的な価値観に侵され、人々が秩序なくなり、価値観が180度変わることを恐れているのだろうが。私からみればもうイランの若者たちは欧米のそれと何も変わらないように思う。

きっと人々がイランを北朝鮮と同レベルの危険性で見ているのは、2005年前後に当時のアメリカ大統領が発した『悪の枢軸』発言だろう。北朝鮮、イラクと並べてイランを世界の敵とみなしたのだ。

ちなみにイランは核の兵器的利用を否定している。
だが、お隣の国とそのお隣の国も核を持っている。

アメリカに好かれるか嫌われるかでこの有様なのだ。
もちろん、友好的外交をしないイランにも非はあるだろうし、アメリカが譲らないのも理由があるだろう。
しかし、一番の問題はニュース番組でコメンテーターが話す阿呆みたいに偏った話を軽々しく受け入れてしまう私たちなのではないだろうか?
古代ギリシア人との戦いでは悪役として描かれ、中東でも孤立をし、そして民主的な政策を行いながら、世の中に誤解される。
イラン人の誇りと悲しみの歴史が正確に認知され、この美しい国をもっと身近に感じられる日を祈りながら、この美しい国を見ていきたいと思う。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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