2-64. 悲しくなるほどの美しさ-ウィーン-

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オーストリアのウィーンの町並みを見て、私はなんだか悲しくなってしまった。
美しすぎる町並み、豊かに生活する人々、時間を知らせる鐘の音までもが美しい。

今まで見てきたものはなんだったのか。

そんな気持ちにさせられてしまった。それほどにここには完成された美しさがあった。これがヨーロッパなのか…。

もちろん、ハンガリーにもその美しさは存在した。
アジアの喧噪も面白かった。中東の異教感は、私に新しい世界を見せてくれた。
旧ユーゴスラビアや東ヨーロッパ諸国の古い町並みと美しい観光地の混在は中進国と言われるその姿が、私を安心させてくれたりもした。

しかし、高貴な町並みを貴族のように豊かな人々が行き交うその道を、インド人に直してもらった靴で、何度も手で絞った服で、しみついた汚れが落ちないズボンで、焼け焦げた肌で歩くと、私はこの道においては自分が物乞い同等なのではないかと思うほど、汚く感じてしまう。

まぁ、そもそもが。ずっと固形石鹸で頭を洗い、日焼け止めも塗らずに、外見などに微塵の興味も持たぬ生活をしていた私は、パキスタンの列車で物乞いの少女に会ったときに、彼女が来ている服が、髪が、私よりも美しかったりした。
金のない観光客など、観光地においては物乞い同等であろうが、金がなくとも、カフェテラスでコーヒーを飲みチョコケーキを食べることや、レストランで優雅な食事とオーストリア産の白ワインを飲むことが出来なくても、見て、感じることはお金がかからない。

そう、金がないから歩くしかない、感じるしかない。そして感じるオーストリアの中心地の町並みは、『ワンランク上』そういうものだった。
もうこの恰好で外を歩くことは許されないんじゃないか?そう思わせる町並みである。

物価も一気に跳ね上がる。今までの道のりで節約してきたのが阿呆らしくなる。

ハンガリーに比べると色彩豊かで、黄色やピンク、オレンジなどといった様々な色の建物が、それぞれ調和して立っている。
宮殿やその他の建築物も、洗礼されなおかつ豊かな彫刻が実寸以上の壮大さを印象付けてくれる。

オーストリアは東?と聞くと『いや、セントラル』と彼女は即答する。
位置関係だけではない、ここはもうヨーロッパのセントラルに入ている。そういう意味も込められているのではないかと思った。

彼女とは、現在ホームステイさせてもらっている日本人とオーストリアのハーフの子である。
そのほとんどをオーストリアで暮らしているにも関わらず、今まで出会った日本語マスターの外国人の中で、一番日本語が上手だ。

彼女とはさまざまな話をした、恋愛、夢、人生…。日本に住んでいたとはいえ、今まで外国人とここまで深い話はできなかった。
しかし、言語さえ学べば、このような話も外国人とすることが出来るのだと、もちろん、彼女の日本語には血もにじむような努力もあっただろうが、それでも彼女を見ているとそういう希望が湧いてくる。
努力でどうにかなるものなのだ。

ドナウ川沿いのビーチで、今まで見てきた女性の裸体以上の数の裸体を拝見し、公園でビールを飲み、クラブに行き、フリーコンサートを聞く。
オーストリアのウィーンに住む若者たちと何も変わらない生活を、4日間もおくらせてもらった。

大学の図書館の『日本文学科』と言うところに行けば、そこはもう日本を学ぶ人であふれている。
『日本人!キャーワー』じゃない、彼らの口から語られるのは『米軍基地問題』であり、『日本の社会的問題』といった深いところの話だ。
私は、たいした金にもならない『日本文学』を学ぶ彼女たちに対して、本当にうれしい気持ちがこみ上げてきた。

『私が日本に行ったときに、みんな行った、こんなに若いのにすごい!って、全然すごくないよ』

私からすると彼女の人生と努力は、尊敬に値するだけのものを持っていると思うが、確かに日本にいたときの私を含め、何か海の外に足を延ばすことを『すごい』 と思い込んでいる節が日本人にはある。
行ってみればわかる、それは何ら変哲のない、普通のことである。

ヨーロッパに入ってからの私は、毎日のようにその日であった人の家にホームステイさせてもらっている。
何が普通で何が普通じゃないか、何が可能で何が可能じゃないか。
そんなものは流動的で一度の体験がすべてを壊してしまう。

『私は、なんだってできると信じている。』

彼女のこの言葉には説得力があった。私も、なんだってできると信じてみよう。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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