2-84. 進むための一時停止-ロンドン-

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再会したイギリスは、なかなか明けぬ夜と、震えるような寒さでお出迎えしてくれた。
夏に日が長いのだから、当然のように冬は日が短い。
7時になってもまだ太陽が出てくる気配すらないなんて、相変わらず私の常識はまだ日本のまんまなのだと気づかされる。

イタリアを出てからの私は、『再会』を目当てに旅をしていた。
ウィーンはもちろんのこと、パリだってフランス人の友人がいなかったら行かなかったであろう。

そういえばロンドンに留学していた友人が、日本を第一の故郷だと、ロンドンを第二の故郷だと。
そして、彼が作った多くの友達が住む街が、第三の故郷なのだと言っていた。

きっと私にもその気持ちが芽生えているのだろうか。
いまだに私は外国で会う異国の人間たちのように、自分の生まれ育った国を、想像力書き立てるほど、賛美することが出来ない。

『ローマに行ったことがないなんて信じられないわ!あそこはとても美しい都市なのに。』
『ポルトガルに言ったらぜひ僕の母親の出身地に行ってくれ、それはそれは美しい街なんだよ。』
『どうしてスイスに来ないんだ?とっても素敵な光景を我々は持っているというのに。』

話を聞き、頭に浮かぶそれは、写真で見るよりも何倍も美しい光景で、彼らが話す口元からは、故郷への愛に満ちたキラキラとした笑みで溢れていた。

それでも、やはり私をそこに向かわせない理由は、向かう理由が純粋なる好奇心よりも

『行っとかなければいけない』という使命感のためな気がしてしまったからだ。
『しなければいけない』なんてことはないのだ、これは旅なのだから。
そんな脅迫概念に駆られて旅をしたって面白くもないだろうと、そう思ってしまう。
『行きたい』と心の底から思えるその日まで、『来てほしい』と招いてくれる友人が出来るまで、とっておこうと思う。

それはきっと、私がバックパッカーを辞めることになっても、旅人であり続けるという事なのだろう。

『人生に一回きりだから。』
私にはこんな思いで旅をしたことがほとんどない。
『別にいいや、今行きたい気持ちじゃないし。行きたくなったらいつか行くよ。』とそんなところなのだ。

旅で出会った多くの友人たちが、日本に帰っていくということをFBのタイムラインに流れてきた昨今
やはり多くの旅人には『リミット』というものがあることに気づく。

大学を休学した人、就職までのギャップで旅に出たもの。

自由人に見える旅人だって、将来に不安を抱き、現実の中に生きていたりする。
『歳』や『お金』だって、一つのリミットになりえる。

自分の、適応能力の高さなのか、寛容性なのか。
私はそもそもが『日本で生きたい』と思わなくなっている、
だからといって『外国で生きたい』というわけでもない。

『何処で生きるかよりもどう生きるか』なのである。

ただ『何処でも生きられる』という強みはほしい。
私はその強みを得るために、まだ海外にいたいと強く思ってしまう。

旅に出る前の自分と、仕事を初めてからの自分、そしてそのギャップにある旅をつなげたいという気持ちが強くある。
そのために私はまだ帰らない。
私にとって旅は、数年会社で頑張って働いたご褒美でもなければ、人生に一度きりしか訪れない夢のような時間でも、そもそも夢でもなければ憧れでもなかった。

私という人生の一部となってしまっているのだろう。

そういう私を形成してくれたのは、まぎれもない私の旅の中で知りあった人々である。
その一つ一つの出会いに感謝し、できる限り『ありがとう』といってヨーロッパを去りたかった。

そんな中で一つの出会いもあった。

毎度言っている通り、私はガイドブックを持たないで旅をしていた。
それは、自分の目で見る初体験を大切にしたいという気持ちと、自分に対する負荷であった。

だが、バックパッカーの多くにとって、情報を得るのは、大体が他人のブログである。

そんな中で、私は日本にいる間に、ほぼ二方のブログしか拝見していなかった。
一人は、パキスタンからイランに抜けた男性のブログ。

もう一人は、女性一人でアフガニスタンを旅した人のブログであった。

この二方には大変な勇気をいただいた。
今ならば、自分がしたことが全然特殊じゃないことなどわかるのだが、当時の私は怖くて怖くてしょうがなかった。

その女性の人が、ロンドンに滞在中であったので、連絡をして会っていただいた。

『面白いよ』と自分の文章をほめてくれることが、これほどにまでうれしいことはない。

そんな彼女も、二年以上の旅を終えて、帰国を考えている頃合いだという。

多くの人間と出会い別れ、日本に帰っていく。
少しだけでも、同志のような感情を持っていた人々が日本に帰っていくと、少し悲しい気持ちと、焦りが生まれてくる。
私が日本に出たときと同じように、彼らが日本に帰ることも、また前進なのだろう。

私も前進しなければいけない、泊まってはいけない。

そう思ってしまった私は、どこか転がり続けているのに止まったような時間であったヨーロッパをまだ多く残し、北アメリカに行くことに決めた。
そう、私にとってバックパッカーの一時活動停止である。
ただ勘違いしないで欲しい、旅は終わっていない。
いや、もう人生が旅なのだ。誰だってそうなのだ。皆旅してるのだ。
ロンドンで再会した数多くの人と、ヨーロッパの友人、そしてイタリアの親戚たち深く感謝をしたい。
皆との思い出、皆のやさしさ、皆への感謝をここに羅列したらきりがないので、省かせていただくが。
特にイギリスではさまざまな人と会い、多くの感情をいただいた。

私の旅の続きが、ここロンドンから始まることをうれしく思う。

ローマで出会った台湾人に見送られながら、私は長く旅した大地から空をとった。

Thanks my friend. I was happy.

『また戻って来るような気がする』
私の目的地であった友人が言った言葉を、私も同じように思いながら、日本を旅立った時と同じように、期待と不安を胸に抱きながら、私は旅から旅立った。

…バックパッカー第一章-完-


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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