3-15. 孤独-トロント-

01af4060613c1cb3f2c26a9d17103b46e21ae2f323

Be proud of being myself.

私が前回の記事でそういう風に言ったのにはポーラとの会話とは別にもう一つ、アンディとの出会いがある。

トロントで出会い、一緒に成功を夢見てあちこちの酒場を渡り歩いているDJの友人のつながりで出会ったアンディは、現在は休職中ではあるが、大学の先生であり、DJであり、フィルムメーカーであり、アート制作も行い、さらには執筆もするという、マルチな才能を持ち、多方面で活動する40歳前後の若々しいおっさんである。

そんなアンディが週末に働くレコードショップに、レコードなんて買いもしないのに毎週末のように通いつめていると、アンディがある日自宅に私と友人を招いてくれた。

自分の現状や自国に対する考えを一通り話したのち、話はどんどんパーソナルな部分になっていく。そしてアンディは一つのことを話し終えると必ず意見と質問を求めてきて、その意見や質問に対してアンディは明確な答えを示してくれる。

アンディの友人が帰り、婚約者が退席し、私の友人が帰宅した時点で時間は夜12時を回っていた。

話は恋愛から家族のこと、そしてアメリカや世界情勢に回り、人種差別やトロントのこと、日本のこと、政治や歴史を回り、また恋愛に戻る。

すべての内容が心地よく、話していてとても気持ちよかった。

もしかしたら、何を話したのかは大切じゃなかったのかもしれない。
でもそこには、私が求めていた『会話』が確かにあった。
アンディの教えてくれたことが、すべて正しいとも思わない、食い違った意見も当然のように存在した。
完璧な知識人などありえないし、答えを知ってる人間なんて誰もいないのかもしれない。

でも、私にとってそこで生まれた『会話』こそが完璧な答えであった。

日本を出たのも、ユーラシア大陸を横断したのも、大西洋を越えて北米に来たのすらも。
そして1年以上が過ぎてもまだ私が日本に帰れないのも、もしかしたら私はずっとこの人を探していたのかもしれないとさえ思えた。

気づいたら時間は朝方5時になっていた。

『また来てもいいかな?』

私がそういうのを躊躇っていると、向こうから

『君が話したいと思ったとき、君はいつでもここに来ていいからね。』

と言ってくれた。しかし、そんな言葉を簡単に信じられるほど純粋な心を持ち合わせていない私は、言い訳のようにネガティブな言葉を羅列する。

『でも知ってるよ、ネイティブじゃないやつと英語でしゃべるのすごい疲れるでしょ?それに俺はDJじゃなけりゃアーティストでもないよ。』

それを聴くと、アンディは。
『とっても疲れるよ、それは確かだけど。』
と前置きした上で。

『君は日本人と今日したような会話が出来ないのを嘆いていたけど、それはここトロントでものカナディアンでも一緒なんだよ。多くの人がそんなことに興味はないし、話しても5分ぐらい。それがどうだい、君とだったら朝の5時まで話せた。Don’t be Japanese。分かったかい?これは本気だよ、いつでも電話していいんだ。いい時間だった。』

そう言われて私は暖かくなった心を抱えて、氷点下雪降る街から自宅へと帰った。

 

私は多くの人間に好かれる人ではない。

人生に何度か、そのように奉られたこともないことはなかったが、その時ですら自分の心奥底に潜む『孤独』という存在が消えることはなかった。

人との距離の取り方が分からずに、多くの人間を傷つけてきた。
そのたびに『変わりたい』と思う自分がいる一方で、『変わった自分』に好意的に接してきてくれる人間に対して『何もわかってくれていない』という虚無感を覚える。

私が言いたいのは、甲乙を付けたり、知識があるとか無知だということではない。

『自分』という変えられない人間に、本当の意味で共振できる人間というのは、日本で生きようが世界を旅しようがそれほど多くないということだ。

だからこそ、そういった人間に出会い、話せたときの喜びはこの上ないものがあり、その存在は大きなものである。

私が2年近くも日本を離れても、本当の意味で孤独に押しつぶされないのは、そんな友人が日本からエールを送り続けてくれるからであって、その友人も私のエールに共振しているからである。
ロンドンで再会してから1年半も会っていないが、そして次に会えるのはいつになるのか分からないが、彼がこの世のどこかで生きているということが、私にとっては力の源となる。

 

トロントを離れることを互いに意識し始めた私と私の親友であるエルスンは、最近私たちが出会った一年前のことを思い出して、感傷に浸ることが多くなってきた。

『ここに来て、たくさんの国の人に出会ったけど、みんなすぐに離れて行ってしまうね。』
『たとえ自国にいても、こうやって話せる人間っていうのはあんまり見つけられるものじゃないかもね。』

私たちは残り限られた時間を考えるからこそ、私たちが出会ったことと共に過ごした時間に感謝を覚えるようになった。

『最近、多くの人に英語が話せるようになったねって褒められるんだ。』
確かに、私も久々に会う友人達に驚かれる。『英語がすごく話せるようになったね!』と。

当然、勉強を怠っていた私たちがネイティブが驚くほど英語をしゃべれるわけがない。
その言葉の裏には、出会ったとき私たちの英語の悲惨さが含まれている。

少し話せるようになった今なら言える。よく私は旅が出来てたものだ、と。
それほどに私たちは喋れてなかったし、言葉を知らなかった。

『でも僕たちは話せてたよね、今と変わらず。言葉なんて全然知らなかったのに。不思議と話せてた。今だって言葉を言わなくても話せてる時がある。』

『君がいないトロントで、僕がどうやって過ごしていいのか、全然イメージできないよ。なにもなくなってしまうんじゃないかと。』

私もだ、彼のいないトロントなんてナッシングだと。

また会えるかは分からない。私たちの人生はもう二度と交差しないかもしれない。

それでも、私が悲観的にならずに済むのは、一度強く交わったこの関係は、そう簡単に切れるものではないというのを分かっているからである。
彼はもう私の一部であり、私はもう彼の一部である。

彼が生きていることが、私が生きる糧となろう。

もしかしたら、私がトロントにい続けたのは、そのためだったのかもしれない。
日本人のコミニティやランゲージエクスチェンジに行くことに足が進まなかったのは、そのせいかもしれない。

日本人だとか中国人だとか。
肌の色だとか言葉、文化の違いだとか。
英語が喋れるとか喋れないとか。
年齢も性別も境遇も文化も、すべてを飛び越えて人と繋がる瞬間をずっと求めていたのかもしれない。

そこにある本当に共感出来る絆を求めていたのかもしれない。

 
他人に分かってもらえなかったり。皆と違うことに劣等感を覚えたり、共感できなかったり。

きっと多くの人が悩んでいることであるのではないかと思う。
だからブルーハーツが未だに多くの人に愛されて、多くの人が『自分探しの旅』なるものに出掛ける。

未だに出会えなくて、孤独が辛くて、頑張って自分を隠したり、変えたり。

そうやって間違った試行錯誤を繰り返すのかもしれないけれど。

例え異国異人であっても、言葉が流暢じゃなくても。

私がそんな人を見つけられたのは、自分という人間を否定せずに強く押し出したからである。

それは長くて辛い旅であり、孤独との戦いだ。馴染んでしまう方が簡単だろうし、楽だろ。
でもそこで得られるものではきっと心は満たされない。

必ず現れる、貴方を理解して共感する人間が。
それまで隠さずにありのままの自分をさらけ出してほしいと思う。

私はそうやって出会って関係を育んできた。そして私が日本を出て地球を半周をした後、帰らずにトロントに来たのは、そんな出会いへの欲求もあったんじゃないかと思う。

心の中から孤独というものが完全に消え去ったわけではないが、私は日本の反対側にいてもそれを一緒に背負ってくれる人々と出合うことが出来た。

『変わらないの』を見つけた。

それは、そろそろトロントにいる理由がなくなってきていることでもある。

ゆっくりと、少しずつ。
離れるときが来ていることを実感する。

ただ一つ心残りなのだ、やっとのことで共感し合えた『変わらないもの』達が皆、男性だということである。

私はつくづく女性には縁がないと思わずにはいられない。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です