3-17. 漢の闘い-トロント-

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『本物のサーファーは冬でも波に乗る』

夏のビーチの代名詞のように思えるサーフィンだが、私が夏になると毎年訪れていた江の島の海水浴場では、海水浴をする人間がいなくなる冬こそがサーファーが海を独占できる時期なのだと、どこかのサーファーが言っていた。

初夏ですら天気が優れなければ寒くて震えていたというのに、冬に海に入るなんて私には考えられない、ましてや波待ちのあのプカプカ浮いている時間を冬の時期に体験することを考えただけでも、鳥肌が立ってくる。

そもそもが水泳部時代の三年間に15度前後の野外プールでした練習の日々が、水泳人生で最も辛かった記憶が私にはあり、冷たい水というものにはどうしても抵抗がある。

水は、暖かい時に入るものである。

しかし、その三年間の冷水プールでの練習が、私に一つの自信をつけさせてくれたのも事実で、あの凍えるような冷水の中、自分で練習メニューを組み、泳ぎ切った時の快感は並ではなく、唇を青くし、震えながら泳ぎ切った時はそれはそれは一つの達成感に満たされていた。

そんな『適してない状況下』で成し遂げるという快感は、私の旅においても一つのテーマであり、西に祭あれば東に向かい、南にビーチあれば北に向かい、旅行者たちに『お前は何が楽しくて旅行してるんだ?』と聞かれれば、確かに何が楽しいのか分からなくなってくることもあるが、それでも楽しく国々を移動している自分に快感を覚えたりしたものである。

さて、『本物の北米旅行者は冬に旅行する』とでも言おうか。
夏になればどこから湧いてきたのかというほど人がいるトロントのダウンタウンも、冬になれば人間は3分の1以下に減り、実際この街で働いている人間が本当にいるのかと疑いたくなるほど、人が外に出なくなる。
2月に友人のDJがバーで回す手伝いに一緒に行ったところ、その年一番の大雪が降り、お客さんが二人しかいなかったこともあった。
冬を楽しんでこそ本物の北米旅行者だ!と、人のいなくなった公園で、いもしない恋人が横にいるていで新雪に初めての足跡を付けてみたり、誰もいないトロントのシンボル的タワーであるCNタワーに二人きりのデートをしてみたりもしたが、帰り道にホームレスに『Hey boy』と言われ、一人ということを再確認させられ、結局寒さが寂しさで増してくるだけであった。

かといって、何かしらのイベントに出掛けるのは負けた気がするので却下である。

結局冬のトロントに、心を温めてくれるだけの楽しさを見つけられなかった私は、今年の夏にビーチに行き、美女と出会った時に恥ずかしくないようにと、体を鍛え始めることとした。

目標は、もうBOYと言われないことである。

しかし、自分の部屋で筋トレをしても、何時間もできるものではなく、休みの日はどうしても暇になってしまう。ましてや『カナダまで来て、なんで部屋に閉じこもって筋トレなんかしてるのか』と思った私は、インターネットで自宅の近くにYMCAがあることを知り、行ってみることとした。

幸運なことに、YMCAは5回の体験入会期間があり、さらに適温に保たれたスイミングプールまであるという。ここ一年美女の水着姿を拝んでいなかった私は、そんなものも見れるかもしれないと思い、毎週末YMCAに通うことに決めた。

入ってみて驚いた、なんというか、

『お前ら、ここにいたのか!』

という人の量であった。

そういえば友人のアンディが、『フィットネスなんて糞だ!あんなもんはやることなくて暇で暇でしょうがないカナディアンが行うことだ!』と妊娠でもしてそうなお腹をタプタプさせて言う通り、北米の健康志向も相まってか、トロントではチェーン展開しているフィットネスクラブのバッグを見かけることが多々ある。私も含め、皆、暇なのである。

そんなYMCAの中にあって、もっとも私を楽しませてくれたのがサウナである。

日本のサウナも、様々な年齢層が黙々と耐え抜いている姿を見れ、大変面白いが、ここ人種の混在するトロントでのサウナは、日本の何倍もの楽しさを覚えさせてくれた。

裸の付き合いとはよく言ったもので、道端で見かけ、人種・外見の違いから距離を作ってしまいがちな人々も、サウナの中ではフラットになった感覚に陥る。

初日、私がドキドキしながらサウナに入ると、『重鎮』というオーラを全身から出した黒人の老人二人組が私を睨み付けてきた。私は、彼らがどこの国出身かも分からないくせに、勝手に『熱いのが恋しいんだろ?分かるよ...』と心の中で呟き、一番奥の角に堂々と腰掛けることにした。

YMCAのサウナは20分毎に室内を暖めているらしく、熱い時と熱くない時の差が割と激しい。

室温が最高潮に熱い時は、全員黙り込み、汗吹き出しながら耐えるのだが、温度が下がると、皆熱さを忘れたいのか、会話を始める。

『お前達はどこ出身なのか?』
『トルコだよ』
『日本だよ、君は?』
『ロシアだよ。』

『二人とも隣国じゃないか』
というロシア人に、そりゃ世界で一番隣国が多い国だからなという突っ込みを入れたくなったのと同時に私は彼のイチモツを眺めながら

『北の大地も、大したことないな。』

と心で呟くのである。
というよりも、私はこのサウナの体験を通して、数種類の人間のペニスを観察してきたが、私が思うに、日本人の股間は悲観するほど小さいものではないのではないだろうか?

そういえばパキスタンで私を必死にナンパしようとしていた男性が私の全裸写真を見て、女々しく若く見える東アジア人が自分のとサイズが同じことに大変なショックを受けていた。

イランでバイクの二人乗りをしながら無理やり握らされた元気なそれは、それこそアナコンダのように太かったから、もしかしたら通常状態では同じだけなのかもしれないが。

話を股間から戻すが、結局その日のサウナでは、私が集団の中で一番最初に外に抜け出し、大きな敗北感と、日本国民への申し訳なさを持ちながら裸の男の静かなる戦場を後にした。

しかし、私の心はどことなく爽やかな、窪塚洋介風に言えばピースな愛のバイブスでポジティブな感じに包まれていたのだ。

人間は皆裸になりサウナに行くべきである。
もう首脳会談なんかもサウナでやればいい。
ロシアのプーチンもイランのハーメネイもイスラエルのネタニヤフもアメリカのオバマもパレスチナのアッバースも。
キャメロンも習近平も、ついでにチプラスとオランドも連れて安倍とメルケルが金を出してサウナにでも連れていけばいいのだ。

『熱いですねぇ』なんて言うオバマに、なんのこれしきとハーメネイやネタニヤフ、アッバースあたりが突っ込みを入れて、あれあれ、西洋人はそんなものなんですか?と安倍と習近平が微笑してやればいい。

平和である。スーツも宗教的正装も被るのではない。
漢隠さず位表さず、裸で付き合えばきっと世の中はよくなるはずである。

キャメロンとメルケルは『男ってホントにいやね』とか言いながら、髪を乾かす時間に談笑しながらもう少しギリシャに少し金でも貸してやろうかと話盛り上がればいい。

何度脳内でシミレーションをしても、最後まで粘るのはプーチンである。
『お前らは本当の闘いを知らない』とか言いそうである。

そう、サウナは国の威信をかけた男の闘いの場である。
己自身を隠す者、隠さぬ者、タオルを巻く者、巻かない者。
ちらちら見てくる者、目を閉じる者。話す者、黙る者。

皆も海外に出掛けたら一度試してほしい。

ちなみに私は4回目のサウナでやっと一番長く居続けることが出来た。

日本国民の皆さま、安心してくれ。国の威信は私が守った。

 

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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