3-18. ヨーロッパみたい!-モントリオール-

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トロントが多くの移民を受け入れ、それぞれの国での生活をカナダで行うことを許容していることに対して、フランス系カナダ人で構成されるモントリオールはヨーロッパ・ラテン的生活文化を重んじ、それらを失わないように、文化の保存と移民がフランス語・モントリオール文化に沿って生活できるように様々な努力と制限を施している。移民に対する政策や文化、人との距離感においても異なった文化を持つケベック州は、カナダからの独立の話が絶えない。

『北米のパリ』と呼ばれるほどヨーロッパ・フランス式の生活習慣を守り、第一言語がフランス語であるモントリオールは、『北米』を代表する都市であるトロントと比べると、同じ国の中にある外国のようなところらしく、トロントからモントリオールに旅行に行った人々は皆口をそろえて、こう感動を表現する。

『ヨーロッパ/パリみたいでした!!』

私はこれがものすごく嫌いだった。

行けよ、ヨーロッパ。

近代的都市で成り立つ北米において、古典的ヨーロッパの雰囲気を醸し出しているモントリオールに人々は感動するのであろうが、ヨーロッパから北米に降り立った私からすると、そう思わずにはいられなかった。

4月上旬、知り合いがどうせなら一回来てみればとモントリオール誘ってくれたので、一年ぶりに5日もの休暇取り、カナダに来てから初めての長距離バスに乗り、出かけてみた。

早朝6時にモントリオールのダウンタウンについたときの私の第一印象はこうであった。

『ヨーロッパみたい!』

私は自分の表現力のなさを悲しまずにはいられなかった。

しかしながら、確かに街についてから見渡す景色は、一年半前、私がヨーロッパを歩いていたときの気持ちを思い出させてくれた。トロントに比べ、統一された景色、奇をてらったような建物が少なく、すべての建物が街のために存在している。
『綺麗』という言葉だけでは表すことが出来ない、ヨーロッパ的な雑踏の中のぬくもりがそこにはあった。

それは、きっと、フランス語を大きく記入することを義務づけられている店のサインや、小売店を守り続けていること、また、人々に宗教的な衣服の着用を禁じていることで維持しているものなのであろう。

また、カナダ生まれのカナディアンが郊外の街に住むことが多く、欧米的な若者の遊び場が地下鉄駅から離れた場所に転々としているトロントに比べると、コンパクトに収まっているモントリオールは多くの人が同じストリートで賑わっているように見えた。
ダウンタウンから歩いて行ける場所にあるクラブや飲食店が立ち並ぶ通りは、確かにトロントに比べると治安を悪く見せているところもあるが、それ以上にその人の多さ、平均年齢の低さから、街に活気をもたらしていることは確かである。

トロントの友人であるアンディが、トロントの問題点として挙げたところが、モントリオールに行くことで初めて理解できたことに、私は喜びを感じていた。
トロント郊外にある街の人々は、トロントと一緒になることを嫌い、彼ら独自の文化をそれらの街で築き上げている。確かに、私が働いた最初のレストランで出会ったシェフたちは、トロントで仕事をしていながらも、車で1時間近くかかる街から毎日通っていた。
それに比べて、モントリオールであった多くの人々は、モントリオールの地下鉄が通る範囲に住んでいて、きっと多くの人が『モントリオールに生きている』ことに誇りを持っているのだろう。

『夏に来なよ、こんな季節に来るものじゃない』『トロントに比べるとすごく小さいでしょ?』
アンディのモントリオールの友人に誘われて行った初対面の人の誕生日会で、多くの人が気軽に声をかけてきてくれた、噂通りフレンドリーなモントリオールの人々の言葉の端々からは、『ようこそモントリオールへ』という気持ちがあふれ出ているように思えた。

友人宅の近くにLittle Italyがあるので行ってみる。
トロントのLittle Italyはどのイタリア人に聞いても『あそこはもうイタリアでもなんでもないよ』というほど、もともとイタリアからの移民で栄えたのであろうそのストリートは、現在もイタリア料屋が転々と店を構えるものの、街角からイタリア語が聞こえてくることなどあまりなく、むしろバー・ラウンジ・ナイトクラブ・居酒屋が立ち並ぶ若者に人気のデートスポットと化しているのに対して、モントリオールのそれは、まだひっそりとした『移民街』の雰囲気を醸し出していた。
キッチン用品店に入り、質問をすると、最初はフランス語で話しかける。
私が強引に英語で会話を始めると、そこまで得意ではないのか、眉間にしわを寄せながらも丁寧に説明をしてくれた。
正直私にとってはネイティブの早い英語よりも格段に聞き取りやすいのだが。
レジ前からはおばちゃんの店員と老人の客のイタリア語での話し声が耳に入ってくる。

モントリオールには確かに、トロントに欠けていた『生活に対する質量ではない美しさ』のようなものが随所に組み込まれていて、待ちゆく人々もそんな街を愛し、楽しんでいるように思えた。

それはもちろん、私が久々の旅行でなにもが美しく見えたかもしれないし、ちょうど冬の終わりを遂げるような陽気さに、人々が喜んでいただけかもしれない。

それでも、トロントのダウンタウンやその周辺が『買え、買え!』と心で叫んでいるような気がするのとは対照的に、モントリオールに立ち並ぶ店は、『ようこそ!』と迎え入れてくれているような温かさがある。それは接客対応が優しいというわけでは決してないのだが、店自体が醸し出す雰囲気が暖かいのである。

フランス語と英語の両方が扱えないと接客業が出来ないという決まりに加え、トロントに比べ経済規模の小さなモントリオールで生活をすることは大変な苦労であると思うが、ここにはトロントと違った美しさが数多くある。モントリオールで仕事を探し出して生活している日本人に対して、私は尊敬の念を抱かずにはいられない。英語ですらこんなに苦労しているのだ。これに加えてフランス語など…。
そのせいか、トロントでの居酒屋の多くの店員が日本人なのに対して、モントリオールでは聞くところによると、あまり日本人は働いていないようである。

私がトロントに一年以上も滞在している理由の一つに、『まだ分かっていない』というのがあったように思う。
トロントは、カナディアンがどのように日々を彩っているのか理解するのが難しいのである。
それは一見すると退屈のようにも思えるのだが、一つ一つ知っていくうちにどんどんとディープに踏み込んでいっているような嬉しさがある。結局のところ、金融街であるトロントのダウンタウン周辺は、『お金を持ってないと楽しめませんよ?』的なスポットが多く。必然的に若者や労働者の遊び場は郊外へと移り変わっていったのだろう。
トロントへの滞在延長を決めた多くの人が、『すごく楽しかった』からではなくて、どう見ても退屈そうなその毎日にも関わらず、延長を決めている人が多くいる。人は結局海外にまで来て、何もわからずに帰りたくはないのだな、と思えてくる。

冷たく無機質な街だと思っている人がいるのなら、もう少し待って欲しい。
ほら、人々が待ちに待った夏がすぐそこまでやってきている。

ここからトロントいう町は一気に熱を帯びて、冬眠していた人々が一斉に街に繰り出して短い陽気な季節を最大限に楽しみ始める。その豹変ぶりは、一年を通して遊ぶ場所がある日本に比べると信じられないほど大きな差である。

それは、北米のどの都市でも言えることなのだろうが。

アーティストや音楽の街と呼ばれ、美しいヨーロッパ風の建物や生活文化を守っているモントリオールは、トロントに比べればいくらかわかりやすく美しいだろうが、それでもこんな分かりずらいトロントの街でなかったら滞在の延長など考えなかったの思うのである。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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