金色の絨毯を暖かい色の街頭が照らし、街が素敵な色に包まれています。
素敵な街というのは、どんな季節、気候も着こなしてしまうものだけど、私はこの秋という季節にパリに来れたことをうれしく思います。
例えばメトロの看板も、エッフェル塔も、街頭も。
なんだかそれは秋特有な哀愁漂う風と妙にマッチしているのです。
哀愁なんて。なんて可笑しい話でしょうか。
私はパリに来たこともなければ、今までの人生で女生共が『外国みたーい♪』と阿呆のように写真をパシャパシャするようなカフェで思い出を残したこともない。
それなのに懐かしさに後ろ髪引かれ哀愁なんて覚えるなんて、私は時々この奇妙な体験をするのです。
公衆電話。電信柱。お味噌汁。
夕日、満月の空、小雨。
英語でノスタルジックという。
私の頭には、『これを見たら過去に懐かしまなければいけない』とインプットでもされているかのように、過去と何のかかわりがなくても『あぁノスタルジックな光景だなぁ』と思ってしまうときがある。
過去に何のかかわりもないのに、懐かしむなんて、矛盾じゃないか、おかしいじゃないかとお思いだろう。
私もそう思う。
ただ、本当に美しいものは、金ぴかに光っているだけではだめなのだ、それは時たまかけてたり、古かったりして、なんだか少し哀しみがかってないとだめ。
パリの街は、そんな美しさと哀愁が漂う、本当に素敵な街であります。
パリは本当に美しく素敵な街、今まで旅した中で一番なのではないだろうか?
パリ郊外の友人の家に行くまではそう思った。
結局はやはり中心部だけなのだ、なんだって郊外が夢物語を壊す。
いや、所詮は夢なのだ。観光地は我々に夢を見せてくれる。
現実はそこにはないのだ。
少しでもパリ市内を離れれば、落書きだらけで、上品な白黒映画が似合いそうな市内とは対照的になんだか酔っ払いがそこかしこから現れそうな、ちょうどいいぐらいに荒れた街。
同じ哀愁でもこちらは少し味がちがいそう。
パリでは、ネパールで一緒に宿に泊まったフランス人にお世話になった。
そのあまりの『愛煙家』ぐあいに、私は『吸うためにネパール来てるな…』なんて思ったものだが、家に帰ると結局ここでも吸い始める。
『君は本当に好きだね、それ』と私が言うと
『この町では皆がストレスを抱えている。それを乗り切るには二種類の方法がある。一つは毎日毎日戦うか、二つ目は、我慢して一日の最後に吸うかだ。』という。
『んじゃぁ君は二つ目を選んだんだね。』と言うと
『最初は我慢して吸わないことを選んだんだけど、俺の人生にはこれが必要なんだよ』
ちなみに私が彼に初めて会ったとき、よくよく考えると私が欧米系の人間とまともに会話をしたのが初めてであった。
インド人みたいに陽気じゃないフランス人に、どう接していいのか恐縮した覚えがある。
当時はまだまだ外国人に対する壁というか、『異人』という感覚がぬぐえなかった。
ただ、その後メッセージを繰り返して受ける印象は、口はヤンキーだけど、メールだといい人の、本当はいい人パターンであった。日本人にもいるよね、そういう人。
ちなみに私と一緒に泊まった日本人宿は最後に追い出される形で出て行ったらしいが…。
翌日、一緒に寝泊まりしたアルジェリア人と共に有名な美術館の内部に入るも。
私はこの時決意せずにはいられなかった。もう美術に目覚めるまで二度と有料美術館には足を踏み入れない、と。
眠くなるは疲れるは、大きな美術館はいいことがない。私は美術も歴史もダメなようだ。
旅をしているとどうしても付きまとうこの二つとどう付き合えばいいか、いまだにわからない。
とりあえず話のネタにはなる、あのモナ・リザを見たと。
バスに乗りロンドンへ、そういえば一か月程での英国再入国は難しいと聞いたことがある。
航空券も持ってるし大丈夫だろうと思っていたが、入国審査は何度やってもドキドキする。
『一か月前に来てるじゃない、どうしてまた来たの?』
『さよならを言いに、ロンドンの友達にさ。』
ロンドンの友人、というよりヨーロッパ、ユーラシア大陸であるのだが。
私の旅の一章が終わり、そして二章の始まりも、ロンドンからである。
ありがとうユーラシア大陸、楽しかったよ。
続く…