暇すぎて、たまに自分のルーツを探る脳内トリップに出掛けることがある。
テーマはだいたいが、『どうしてこんな人間になってしまったんだろう。』である。
流行りものに無条件に嫌悪感を示して、誰かが誰かを褒めると、褒められただれかを嫌いになりかけて、優しい笑顔を見ると疑いたくなって、多くのミーハーな女性を敵だと認識する。
誰が私をこうも面倒で邪悪な人間に仕立て上げたのか。
生まれたときからこんな人間だったという運命論は信じたくない。生まれた私は善にも悪にもなり得た人間だったはずだ。
どんな出来事が私をこんなことにしてしまったのか。
幼稚園の時は、無駄に正義感が強かったものの、そんなに悪い人間ではなかったはずだ。
折り紙とミニ四駆作りに絶対の自信を持ち、同級生たちから『博士号』をプレゼントされるぐらいの信頼はあった。
頭の中で何度過去に旅行に出かけても、たどり着くのはいつも『佐藤君』である。
小学校3年だったか4年だったかの時、縄跳びで二重飛びが何回出来るかがステータスであった時代、私は無駄にあやとりを極めるというただの女の子と遊びたがりの少し変わった少年ではあったが、それほどおかしい人ではなかったと認識している。
私の中の大事件『佐藤君泣かせたでしょ事件』が起きるまでは。
小学校、しかも活気のある大阪の田舎町に住んでいた私は、二つの敵対するヤンチャグループからも好かれ、同学年で一番クールな遊びグループにも入れ、さらに隣のクラスとプロレスごっこ的喧嘩になれば、殴られるのが怖いから体の柔らかさを駆使した柔術で相手を打ちのめすほどには一定の地位を得ていた。
簡単に言えば、特に誰から嫌われることなく転校生の割にはクラスになじんでいたと思う。
そんなある日、私はクラスの人気者の『佐藤君』を泣かせた。
理由は全く覚えていない。
しかし小学生の喧嘩である、対してどちらか一方が悪いというわけではないはずだ。その上、男同士の喧嘩では『泣く方が絶対悪いに決まっている』。
佐藤君が泣き出した瞬間、私は脳内で勝利の拳を挙げて、周りを見渡した。
『見ろよ、こいつ泣いてるぜ!』
そんなことを言おうとした矢先、私と佐藤君の周りに女子たちが集まりだした。
きっと5人かそこらだっただろう。
『佐藤君、泣かせたでしょ?』
小学校の間は、いや、人生において、何がどうなっても女子が偉い。これだけは人間が変えることが許されない自然の摂理である。
普段はか弱そうに演じている彼女らは、いざという時は徒党を組んで攻撃を仕掛けてくる。
『え?いやいや、だってこれは佐藤君が…』
『佐藤君が悪いことするわけないやろ!!!』
多分関西弁だったと思う。
佐藤君は、イケメンだった。
かっこよくて、スポーツもできて、クラスの人気者だった。
笑顔が爽やかで、頭もよかった。
『そんな佐藤君が悪いことするわけない。』
事の一部始終すらも知らない女子が佐藤サイドにつく唯一の理由は、佐藤君という人柄によるもののみであった。
私を攻めたてて、無条件に佐藤サイドについた女子の中には、毎日のようにあやとりで一緒に遊んでいた女の子もいた。
私はこの瞬間に、悟るようになる。人生の大きな分岐点である。
『人生、顔がすべてなんや。』と。
それとともに、この出来事は、自分の顔面が女子の見方を得られるほど優れているものではなく、むしろ攻めたてられるほどの出来損ないで、勉強が特に出来るわけでもなく、よく考えたら二重飛びも一回しか飛べなかった。
思い返せばそれ以降、私は人気者を好きな女の子が嫌いになった。
容姿と立ち振る舞いのみでジャニーズやEXILEを好きになる女子的女性に嫌悪感を示すようになり、そんな人間を見つけると無条件に攻撃を仕掛けるのだから、その周りの人間からも『変人』というレッテルと共に、嫌われるようになる。
それでも私の『佐藤君トラウマ』は治ることを知らずに、FBにパンケーキの画像を挙げている人間を見れば背中から批判精神が押し寄せてきて、Twitterでラーメンの画像を見つけては罵声を浴びせたくなる、嫌な奴である。
この邪悪な精神の向かった先こそがミーハーや多数派批判で、社会批判であり、そもそもが批判精神なのではないかとすら思う。
それでも、小学校の時の私にはまだ救いの手があった。
大阪特有の『面白ければ偉いんや』精神が私の唯一すがるべき道であった。
小学校高学年から、中学校卒業まで、『面白い』を人生のテーマとして駆け抜けてはみたものの、その思想すらも高校の時に打ち砕かれることとなる。
同じ学校の彼女が、一回もできなかったのである。
よくよく女子たちに話を聞いてみると、
『なんだか相澤と付き合うのって、恥ずかしいよね』
とのことだった。この時私は再確認することとなる。
『人生、顔がすべてなんや。面白くてもダメなんや。』
ちなみに関西弁ではなかったと思う。
何より、一番悲しいのは、佐藤君が私にとってもとてもいい人で、私自身佐藤君を慕っていた人間の一人であったことである。
それにより、恨みの矛先はそれを慕う女子たちへと行きつき、結局嫌われることとなってしまう。
未だにイギリスのアイドルグループ『一方通行』の誰々がグループを抜けたというニュースに一喜一憂している人間を見ると、悲しい過去をほじくり返され、攻撃を仕掛けてしまう。
まったくなんて人間に育ってしまったんだと。
あの時佐藤君を泣かせていなかったら、きっと私の人生は大きく違ったはずである。
もしまだ人生の道を誤っていな人間がこの文字を読んでくれているなら、一言忠告しておきたい。
佐藤君だけは泣かせるな、と。