2-15. アーティストと仏教-カトマンズ-

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朝起きると私はmo-moというチベット料理の蒸し餃子を食べ、すぐに宿を変えた。
前日に泊まっていたホテルが悪いというわけではなかったが、夜遠し騒ぐ欧米人を見て、一人でいるのが寂しくなってしまったのだ。

ここはアジアである、日本人のたまり場がないはずがない。
日本人が集まるという旅行代理店から日本人が多く泊まるという宿を紹介していただき、行きついたのだが、皆出かけてるのか、日本人は見当たらない。

私は入場料が払うのが嫌だったが、カトマンズの離れにある観光スポットを見に行くことに決めた。

そうこう思っているうちに、一人の男性が声をかけてくる。
『私はインド人で、ネパールに移り住んでいます!』
と。
最初は警戒していたが、彼がガイドじゃないと連呼するので英語が分からないがなんとなくでタメル地区を観光案内してもらった。
『私はこの地で靴磨きをやっています。私はガイドじゃないのでお金はいりませんが、あなたの靴を磨くので、安いごはんを子供たちに与えてほしい。』
と言われ、まぁ安い食事ならいいかと思っていると、観光が終わったであろう時に私の靴を磨き始める。

磨く前から、『幾らぐらいの食事?安いのしかだめだよ』と聞いていたにも関わらず『ショップに行かないと分からない』と言うので問いただしていたら。
『普通のガイドは200$とか請求してくるけど、私には20$ぐらいの食事くれればいいから!』
と言ってくる。こいつ桁間違えてるよ、と思いながら確認すると本当に2000Rsだという。

『チープフード!?それチープじゃないよ!』
一日500Rsで過ごせていた私はそう怒って靴を取り上げてしまった。

彼はそう怒ると、悲しそうな顔をして去って行った。
私は少し悪いことをしたかなと思いつつ、その場を去った。バケーションで遊びに来ている日本人にとっては、2000Rsはチープなのだろうが、2000Rsの食料を買えば、彼らは何日過ごすことができるか計り知れない値段である。

彼がいなくなったあと、お目当ての場所に行こうと右往左往していると、女子中学生らしき団体が声をかけてくる。
彼女らの教育の行き届いた流暢な英語は、私を混乱させたが、『私たちの活動のためにこのペンを買ってください、お願い!お願い!』的なことを言っているようだった。
女子中学生にお願いされると、私だって少し動揺するというものである。
『どこの国から来たの?』と聞かれたので日本と答えると、一番おしゃべりな彼女が目をキラキラさせながら『私日本人大好き!』と言う。
どうせお世辞であろうと思っていると、ペンをしまいだし、どこに行きたいのか、そのバスならあそこらへんから出てるわ!と丁寧に教えてくれた。お世辞ではなかったのだろう、私は買ってあげればよかったと後悔した。

ここでの交通手段何種類かある。レンタルサイクルを借りたり、タクシーやサイクルリキシャに乗るのが観光者の一般的な方法であるが、私はどうしても現地民と同じ方法で移動したくて(安いというのもあるが)マイクロバスを利用した。

マイクロバスは、バンのバスであるが、日本のように泊まる駅が決まっておらず、窓から若者が顔を出し、元気よく『○○方面行くよー!!』と連呼している。
私はそれが聞き取れないので何度も確認をとりながら目的地に向かう。

道においても、車においても、ネパール人は聞くと丁寧に返してくれる、私が英語を理解しないとも知らずに。
彼らが丁寧であるから、私は知らない道も恐れなく進むことができる。道を聞くと、知らなくても『あっちだよ!』というインド人とは大違いである。

小腹が空いたので、ビスケットを売を買うと、『チャイニーズ?ジャパニーズ?』と聞かれる。
日本人だと答えたら、日本語で話しかけてくる。
20年以上前にカメラの勉強をしに一年半日本にいたことがあるという。
20年前の日本がどの程度のものだったか、私は知らないが、ネパール人が日本に留学するのは金銭的にとてもハードルが高いことだったのではないだろうか?
そんな彼が、カメラの仕事にも就かずに郊外の観光地でビスケットとパンを売っている。
帰国後の自分と重なってなんだか悲しい気持ちになってしまった。

ボウダナートは大きな大きなステゥーバである。そこは観光地が数多くいるだけでなく、近所の子供のお遊び場であり、カップルがくつろぐ場所であり、そして仏教とがお祈りをする場所であった。
それぞれの場所でそれぞれがそれぞれの時間を過ごしていた。ほかの観光地とは違い、心地いい時間が流れていた。
土産物屋に入りルダラークシャのネックレスを買うと、店の女性が話しかけてくる。
『私日本人大好きだわ!』
というと
『どうしてガールフレンドいないの!?私たちの子供(3歳ぐらい)と結婚しなさいよ!どっちがいい!?』
と、外国人はだいたいがカールフレンドの有無、またはその人数を聞いてくる。
私はだいたい『メイビー アイム バッド ルッキンング』的なことをいうのだが、『そんなことないわ!』と慰めてくれる。ネパール人と結婚したい。

帰り道、またマイクロバスに乗っていると、ネパール人の男性が親切にしてくれた
『私はサクセス求めて外国行ったんだけど、あきらめて今日帰ってきたんだ。』
悲しそうな顔をしてそう言う。

ネパール人は長期的に成功を見ることができる人種だと思う。
彼らは最上のサービスをしてくれ、その代わりに『日本でここの宿が最高だったって言ってね!』と言ってくる。
目先の金より長い信用を欲してるのだ。実に過ごしやすい。

その一人であるネパール人の仲介人が、泊まっていたゲストハウスの日本人を明日ポカラにつれていくと言うので、私もカトマンズを離れることとした。ここは金を使う誘惑がありすぎる。

翌日、朝早くポカラ行きのバスに乗り込むと、フランス人が優しくしてくれた。
フランス人らあまり笑顔を見せないし、話しが通じないととても嫌な顔をするが、優しい。
タバコ吸う?水飲む?と気を使ってくれ、結局日本人宿までついてきて、ルームをシェアして泊まっている。

そういえばカトマンズには多くの日本人のアーティストが泊まっていた。
CDジャケットのクリエイターだという男は、今の六本木を『死んだ街』だと言い、東南アジアのストリートカルチャーを褒めていた。クリエイターにとって、日本は創造力を発揮するのに、居心地が悪いのだろうか?

ポカラはとても素敵な場所である、時間流れがゆっくりで、風が気持ちいい。
皆も休暇がとれたら是非来たらいいと思う、バケーションにはオススメである。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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