2-35. ヒロシマナガサキ-シーラーズ-

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数多くの外国人が、日本と言うと『トーキョー、オーサカ』と言うのに対して、イラン人の多くは『ヒロシマ、ナガサキ』と言う。
学校で反米教育が行われているのだろうか?

中には、『知ってるかい?アメリカは昔日本に爆弾を落としたんだよ?』そう言って、何故アメリカとフレンドリーにしているのか疑問視してくる人もいる。

もちろん、日本の教科書にもその事実は書かれているが、確かに知っているか?と聞かれれば忘れてさえいたような気がする。
なんたって私の父や母が生まれる前の出来事なのだ。

私達は何故そのようなことをされながらも、アメリカと仲良くできるのだろう?
確かに、歴史を重んじる多くの国ではそれらが未だに嫌悪感を抱かせたりしている。

私は歴史というものが嫌いである。
いや、歴史教育が伝える側面的な感情が嫌いである。
いくら公平的と言われようと、そこに両者の価値観や感情を交えず、教えることと教えないことが存在する時点で。つまりは歴史などを教育しようとする時点で公平的などありえないのだ。
いや、受け取る側にしても公平などありえないのだ。必ずどちらか、特に自国にかたいれする感情が生まれるに決まっている。ならいっそ教えなきゃいいのに、とまで私は思っている。

日本でも、韓国の歴史捏造などと言って顔の見えない人々が騒ぎ立てているが、そこに現在どのような利益が発生するというのか。少なくとも一市民の私たちには知ったことじゃないことじゃないのか?

私は私の親や友人が、歴史上でもし卑劣な如く噂されようが、知ったことではない。私が彼らを、一番良く知ってるはずだから。

それゆえ歩くのだ、話すのだ、見るのだ。
少なくとも私だけでも誤解の中に憎悪を産まないために。
『どうしてだって?フレンドリーイズグッドじゃないか!』
そう言って。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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