2-20. やさしい国パキスタン-イスラマバード-

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朝起きて朝食のパンとチャイを当然のように無料でいただくき、宿に帰ると、シーク教の宿の管理者らしき男が『早く出ろ!そして300Rsおいてけ!』と言わんばかりに迫ってくる。
彼らは掃除を義務つけられた宗教であるから、どうやら私の寝床の床を早く掃除したいらしかった。
もちろん、宿は無料だといってもお賽銭は必要であるが、堂々と『300Rs』だといわれるとなんだか少し嫌な気分になってしまった。
そもそもがそれだとルンビニの韓国宿の倍の値段である。

それでもお世話になった寺院に最大限の感謝の気持ちを持ち、私は昨夕に行った国境にまた行くこととする。
今度は朝に、パレードはやっていない。超えるための国境である。

『ハッパとか、アルコールとかないね?』
そんなことを聞かれたぐらいで、すんなり通ると、その先は多くの人間が恐れをなす上にインド人までもが『お前タリバンか?』とブラックジョークをかます国、パキスタンである。

インドでは入ってすぐにインド人の詐欺という洗礼を受けたが、ここではパキスタン人の優しさの洗礼を受けた。
『このバス、ラホールまで行く?』と泊まっているミニバスに聞くと、『いいよ!』と言って私一人乗せただけで出発してしまった。
『どっかつれてかれないだろうか?』と思っていると、男が名刺を見せてくる。
『ユニバーシティコーディネイト』と、よくわからないが偉そうな肩書を持つ彼は、ただで私をラホールまで連れて行ってくれただけでなく、ミルクと、バスターミナルまでのオートリキシャ代まで払ってくれた。
その上、私がラホールを素通りすることを言うと、『戻ってきたら是非うちの大学に泊まってくれよ!』と名刺をくれた。

パキスタン人の優しさに感動しながら私はビンディー行のバスに乗る。
バスの中でも、多くの人々が『どこから来たの?どこ行くの?』と話しかけてくれ、自分の名刺を渡してくる。
『連絡くれよ!俺シンガーなんだ!』 と、悪そうな男からやさしそうな人まで。

ピンディーについてからもその優しさは衰えることを知らない。
私が宿を探し右往左往していると(バスストップのこの町のホテルはどこも満員であった)、『こっち座れよ!』と老人に言われ、『テレビの言うことは信じちゃいけない!パキスタンの人々はハートフルだろ?ピースフルだろ?』と、私が賛同し、宿がないことを伝えると、宿主と喧嘩までしはじめてくれる。

インドでのATMの多さから少額のパキスタンルピーしか持っていなかった私を助けようと、皆がドルと言いレートで交換してくれた。

パキスタン人、なんていい人なんだ…

そう感動はしたものの、泊まる宿もない上に、時間は22時になっていた。
野宿はやだし、パソコン使って情報を得なければ。

そう思っていると、タクシーの運ちゃんにイスラマバードまで連れられて、現在4000ルピーの宿に泊まっている。
今日だけで5000Rs(約6000円)は使ってしまった。

明日から始まる20時間のバス移動を考えたら、この大都市に泊まるのでも、パソコンの環境が必要だと、その上野宿するのに比べたらまだマシであろう。

『ガイドブックなしは、面白いけど高くつくよ』

そういった上海のパッカー先輩の言葉は本当であった。
明日からはまた一日1000円生活の始まりである。
パキスタン、実に楽しみになる初日であった。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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