朝起きて朝食のパンとチャイを当然のように無料でいただくき、宿に帰ると、シーク教の宿の管理者らしき男が『早く出ろ!そして300Rsおいてけ!』と言わんばかりに迫ってくる。
彼らは掃除を義務つけられた宗教であるから、どうやら私の寝床の床を早く掃除したいらしかった。
もちろん、宿は無料だといってもお賽銭は必要であるが、堂々と『300Rs』だといわれるとなんだか少し嫌な気分になってしまった。
そもそもがそれだとルンビニの韓国宿の倍の値段である。
それでもお世話になった寺院に最大限の感謝の気持ちを持ち、私は昨夕に行った国境にまた行くこととする。
今度は朝に、パレードはやっていない。超えるための国境である。
『ハッパとか、アルコールとかないね?』
そんなことを聞かれたぐらいで、すんなり通ると、その先は多くの人間が恐れをなす上にインド人までもが『お前タリバンか?』とブラックジョークをかます国、パキスタンである。
インドでは入ってすぐにインド人の詐欺という洗礼を受けたが、ここではパキスタン人の優しさの洗礼を受けた。
『このバス、ラホールまで行く?』と泊まっているミニバスに聞くと、『いいよ!』と言って私一人乗せただけで出発してしまった。
『どっかつれてかれないだろうか?』と思っていると、男が名刺を見せてくる。
『ユニバーシティコーディネイト』と、よくわからないが偉そうな肩書を持つ彼は、ただで私をラホールまで連れて行ってくれただけでなく、ミルクと、バスターミナルまでのオートリキシャ代まで払ってくれた。
その上、私がラホールを素通りすることを言うと、『戻ってきたら是非うちの大学に泊まってくれよ!』と名刺をくれた。
パキスタン人の優しさに感動しながら私はビンディー行のバスに乗る。
バスの中でも、多くの人々が『どこから来たの?どこ行くの?』と話しかけてくれ、自分の名刺を渡してくる。
『連絡くれよ!俺シンガーなんだ!』 と、悪そうな男からやさしそうな人まで。
ピンディーについてからもその優しさは衰えることを知らない。
私が宿を探し右往左往していると(バスストップのこの町のホテルはどこも満員であった)、『こっち座れよ!』と老人に言われ、『テレビの言うことは信じちゃいけない!パキスタンの人々はハートフルだろ?ピースフルだろ?』と、私が賛同し、宿がないことを伝えると、宿主と喧嘩までしはじめてくれる。
インドでのATMの多さから少額のパキスタンルピーしか持っていなかった私を助けようと、皆がドルと言いレートで交換してくれた。
パキスタン人、なんていい人なんだ…
そう感動はしたものの、泊まる宿もない上に、時間は22時になっていた。
野宿はやだし、パソコン使って情報を得なければ。
そう思っていると、タクシーの運ちゃんにイスラマバードまで連れられて、現在4000ルピーの宿に泊まっている。
今日だけで5000Rs(約6000円)は使ってしまった。
明日から始まる20時間のバス移動を考えたら、この大都市に泊まるのでも、パソコンの環境が必要だと、その上野宿するのに比べたらまだマシであろう。
『ガイドブックなしは、面白いけど高くつくよ』
そういった上海のパッカー先輩の言葉は本当であった。
明日からはまた一日1000円生活の始まりである。
パキスタン、実に楽しみになる初日であった。
続く…