2-21. イメージはどこからやってくるのだろう イスラマバード

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時として、イメージはびっくりするぐらい現実と異なること多々ある。

私が最初に海外についてのイメージを覆されたのは、小学校の時、幼稚園児の時タイに住んでたという友人に『タイってビルとかあるからね?』と言われた時だった。
私はそれまで、タイという途上国に対して、泥で作られた道路と、動物が荷物を運ぶイメージしか持っていなかったのだ。

私は、その時と同じぐらいの衝撃を海外に来て味わっている。
私はさまざまな人の覆えったという話を聞いても、心の奥底でネットの話を鵜呑みにしていたのだろう。

韓国人は皆日本人が嫌いで
中国人は性格が悪くて
インドは汚くて(これはあながち間違っていないが)
パキスタンはタリバンだらけで
イランは戦火の中にいて
貧困層は日々辛そうに生きていて…

今だって私のアホみたいな想像力は確実に間違っていると思っていてもそれを否定できずにいる。
カンボジアには物乞いしかいなくて
アフリカ人はみんな裸で
そして日本は閉鎖的だ。

くだらない、私たちが想像する上で利点を得るのは、より良い世界を想像する以外にないのだ。
想像は希望であり、同時に絶望ももたらすということを知っていてほしい。

そういう意味では、皆にパキスタンにはぜひ来てほしい。

前日の夜、パキスタンの老人が悲しそうに言った言葉を思い出しながら私は今日、パキスタンの首都を歩いていた。

『アメリカの、メディアの言うことを信じてはいけないよ。パキスタンをこの目で見て、日本の人々に伝えてほしい、これがパキスタン、平和だ。』

パキスタンの道を歩くと、人々はまず興味本位で私のことを見てくる。
そして、こちらが笑うと向こうは照れ臭そうに笑って返してくる。
中には国籍も聞かずに写真をとってくれとせがんでくるもの
『今家作ってんだ!見てくれよ!』
そして終いには『日本大好きだ!愛してる!』と褒めちぎってくれる。

朝一人で道路を歩いていると我先にと話しかけてくる、ここのどこに危険があろうか。

いや、各国を見ているとどこも確実に価値観が異なってくるのが目に見えてわかる。
私たちの価値観は資本主義の上に成り立っているものだというものを再確認させてくれる。
彼らは金などほしいのだろうか?もちろん、罪を犯してでもほしがる人間がいるのだから否定はできない。
ただ、緩やかな時間を過ごしている彼らを見ていると、私の知らない、お金より大切なものを沢山知っている気がしてならない。

だからと言って断片的なほうだけを見て安全と決めつけるのも危ないのは重々承知だ。
ただでさえ旅は危険が伴う。それは日本国内でも同じことだろう。

しかし我々は常にマイナス側のイメージに加担したがりすぎやしないだろうか?

私はおばあちゃんが話してくれた戦中の『楽しかった』エピソードが好きだった
少年Hという、戦中を愉快に生きた少年の小説が大好きである。

不があるから有が際立って目立つのだろうか?
そうではないとおもう、最初から不なんて少ないものなのだ。
だが人々は先行したイメージで話、罪悪感もなく実はけなしている。

もっと広い視野で、いいイメージで、最悪の事態を考えながら。
もっと沢山の知識で、正しい外観をとらえて、自分の解釈を。

イスラマバードは軽井沢なようにペンションが立ち並ぶ高級地帯で
人々は緩やかな生活をしている。
ビルもあるし、国際的な企業も多数ある。

皆はパキスタンにどのようなイメージを抱いているだろうか?
少しでも違ったなら是非きてほしい。

私は国を回るうえで一つの信念がある。

『誰の言うことも信じるな。見たものだけが確かなのだから。』

旅をするとは、つまりはそういうことだ。情報は皆を流したいほうに流す分岐器でしかないのだから。

なぜかご飯に香りがする便と圧縮作用のなくなった腸と、熱すぎる太陽のために本日は早めのギブアップである。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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