2-23. ありえへん-フンザ-

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カリマバードからミニバスとボートを乗り継ぐと現れるその場所はパスーと言う。
かつては観光客で栄えたというこの場所も、大洪水で街が埋もれ生まれたという湖と報道のせいで客はからっきしだという。
友好の証であるカラコラムハイウェイも、地滑りや洪水、落石によって何度も破壊されてしまう。
この地での道路建設は一筋縄ではいかないのだ。
だか、このパスーには人がいないからこその静けさと早大な自然がある。
ゲストハウスから歩いて2時間もすれば氷河が顔を出す。
白色の氷河を目指し、岩を登っていると、その登っていた岩がすでに氷河であるということが分かる。
なんと私は氷の上を登っていたのだ。
パキスタン人はインド人と同じくして、総じておしゃべりが好きだ。
いや、日本人は会話が好きではないのかと思うほど、他国の人は皆おしゃべり好きである。
そのパキスタン人すらも『おしゃべり好き』と言うのが、パスーピークインGHの老人である。
1聞けば100で返すその老人の仕事を手伝っていると、彼は私を『孫』だと言ってくれた。
ハイダーインにいたシェフも私を『小さな兄弟』だと言ってくれた。
その原因には、私が仕事に飢えているということがあるのだろう。
アルバイトをやめて約2か月、私は自分が世界の負債なのかと思う時がある。
仕事もせず、生産してるものといえばこのブログ以外に何もないのだ。
私は昔ピザ屋でアルバイトをしていた。
その経験を活かし、毎夕のチャパティを自分で伸ばしていた。
作り方はまったく一緒である。学生時代のアルバイトがこんなところで生かせるとは思いもしなかった。
そんな私のための手伝いは、サービス精神旺盛なパキスタンシェフを困惑させた上で、きっと心を開いてくれているのだろう。
翌日、そんなおしゃべり老人と別れ、この地の有名な危険なつり橋を渡り、帰ろうとしていた。
すると、日本のテレビ番組の撮影に訪れた日本人とコーディネーターが私たち(私はこの地で日本人二人と韓国人二人と行動を共にしていた)を送ってくれるという。
彼らは日本のテレビ番組で放送するためにパキスタンを撮影して回っているのだという。
その時初めて私は実感した。
そう、日本にいたらありえない場所に私はいるのだ。
つい一か月前までは、液晶画面の向こう側でしか見ることのなかった世界に、当然のように足を踏み入れているのだ。
一か月も海外に来ると感覚が鈍ってしまう。
当然のように優しさを受け入れ、当然のように素敵な場所を通り過ぎる。
一つ一つの出来事に、もっと感謝をして歩まなければならないのだ。
もっと注意して、もっと感謝して、私はイランへの道筋を立て始めていた。
気を付けて、楽しんで。そんなコーディネーターの言葉を思い出しながら。
続く…

Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

2件のコメント

  1. SECRET: 0
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    相澤先輩!
    ブログ毎回本当に楽しみに見てます。(笑)
    これからもちょくちょく更新して下さい!
    病気等気を付けて、旅応援してます!

  2. SECRET: 0
    PASS:
    おたんこなっちゃん様
    ありがとうございます、そういう一言が、僕の更新の原動力となります。
    なっちゃんはアジアを見たいと言ったけど、例えばタイのカオサンなんかは、学生で溢れていると聞きます。インドも中国もネパールも楽しかったけど、『本当ってなんだろう?』そう考えるのはパキスタンが一番考えられます。つたない私の英語力でも、皆が自国の『本当』を伝えようと頑張ってくれます。西にも東にも向かず、自分たちのアイデンティティを大切に持っている、中東辺りはそんなイメージが湧いて来ます。

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