2-49. 気が付けば欧州-イスタンブール-

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-アジア大陸での終わりであり、ヨーロッパ大陸の始まりでもあるトルコ・イスタンブール。

私はアジア西の終わりに来てフェリーを待っていた。
船に乗れば私のアジアの旅は終わるのだ。

 

 日本から上海に飛び、そこからデリーへ。
上海ではチンチンバーに、デリーでは偽インフォメーションセンターに騙されながらも。
フンザでは心癒され、パキスタンでは多くのことを考えさせられた。
イランでイライラしながらも、アルメニアで出会った友人たちと楽しい時間を過ごし、ここイスタンブールまでやってきた。
日数的には二か月という早い旅であったが、様々なことがあった。

私の『チャレンジ』という意味での陸路移動はパキスタンからイランに行った時点で実は終わっているのではないだろうか?

では、私は何故旅をしているのか?
海外に行きたいわけでもなく、もはやチャレンジでもない。
何かを学ぶわけでも生産するわけでもない。

なんでもないことが好きというほど自由奔放でもない。

それなのにかたくなに地べたで行こうとするのは意地なのか…

グルジアから続く悩みのような、モヤモヤがいっそう大きくなる。
ヨーロッパに入ることは。この旅の終わりが近いことを意味してくる。

アジアの喧噪が懐かしい。
物価の安さがうらやましい。

終わりたくない、かと言って永遠に続いてほしくない…

何を得たいのか。
何をしたいのか。
見つかったのか、それとも見つけたくないのか…

私は今まさにヨーロッパに入ろうと思っている、アジアの終わりに、祝杯のために買ったビールと共に…。 

とまぁきっとこんなことを書くんだろうなぁ…なんて思いながら私はバスに乗っていた。
なんたって大陸を超えるのだ、それだけにイスタンブールは大きな意味を持つし、私の中ではアジアからヨーロッパへフェリーで行くことに大きな意味があった。

『超えた』感がほしかったのだ。

しかし現実はあっけなかった。

私は12時間のバス移動の実に11時間を睡眠に費やしてしまった。
つまりは起きていたのは最初の1時間だけなのだ。

そしてついたところで地図を確認する。

そこは、ヨーロッパだった。
もうヨーロッパだった
気が付いたらヨーロッパだった。

アジアからヨーロッパに入るとき、私は何をしていたか?

寝ていた。ぐっすりと。

神様と私の睡眠欲が私に誕生日にくれたプレゼントはなんて残酷なのだろう
それともこれは、旅をシナリオ通りに進もうとした、私への罰なのだろうか?

そんな悲しみも、ホテルの受付の兄ちゃんが『ハッピーバースデー』と言ってくれたことと、トルコの美しく巨大なモスクと色艶やかなトラムやバス、笑顔の人々が織りなすイスタンブール旧市街の美しさでいくらか救われる。

あぁ悲しき23歳のはじめ。
神様は私に突然のヨーロッパをプレゼントしてくれたのだ。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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