2-6. 足のない少女-上海-

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魯迅公園では老人たちがそれぞれのくつろぎ方を堪能していた。

ペアを組んでダンスを踊る者、バドミントンをする者、トランプに興じる者

今私が読んでいる本の中でジム・ロジャーズが『世界で最も質素で能率的な生産者たる中国人』と絶賛しているだけに、彼らはきっと少ない利益の中でも楽しむ術を知っているのだろう。
日本ではあまり見かけない光景だが、人々は常にこのように、子供のようにあるべきだと思った。

そんな光景を横目にベンチに座って読書をしていると、片腕の老人が何か話しかけてくる。
『ソーリー、アイドンノー』 というと、ない腕をうごかして『マネーマネー』と言ってくる。
物乞いである。もう片方の腕は、袖には通してなかったが、あるということはバレバレである。
私は『ノーマネー』と言って断ると、老人は横のベンチへと移動していった。

街を歩いていて、物乞いに遭遇したことは何度かあったが、彼らは五体満足であった。
海外を訪れた人間からするとそのような物乞いは普通であるのだろうが、外資系の大きなビルの前でお金をせびる少女の顔がいまだに私の脳裏から焼き付いて、離れない。

足を布で覆われた少女、おそらくないのだろう。
その少女が地べたに横になりながら、缶をカンカンとやりながらお金をせびってくる。
その顔は笑顔である。あまりにも長い間笑顔をキープしてしまったがために、その顔以外することができない、そんな笑顔であった。顔面によって、誰かによって無理やりつくられた笑顔。

彼女がどのような経緯でそこにいるのかはわからないが、とても幸せとは思えなかった。

今後さまざまな場面で彼女のような人に出会っていくのだろうが、私はどのような反応を、態度をしめすべきなのか、迷ってしまった。

きっと答えは見つからないのだろう。

毎日毎日ブログを更新して、よほど暇なのだろうと皆さまは お思いかもしれない。
ご察しの通り、暇なのである。
私の父の友人曰く、『上海など二日で見終わってしまう。』
確かに、その通りだ。上海の観光地を巡ろうと思えば二日とかからないだろう。
東京都内の『金のかからない』観光地を思い浮かべてくれればいい、一日で回れるのではないだろうか?

ゆえに私はこの上海生活をバックパッカー生活に慣れる入口、慣らしと考えている。
朝起きて、果物を食べて、街に出て、見て、食べて、帰り際に中華の店に入り、食事をしてブログを更新する。
まるで定められた一日のサイクルの中を生きる。旅に出てから私の生活はより規則正しくなっている。

沢木耕太郎が旅行中『一生分の手紙を書いてしまったのだろう』と言ったほどに、一人旅において誰かに何かを伝えられる喜びはとてもうれしいものである。

このブログを誰かが見てくれているということが、私が明日朝起きる原動力となるのだ。
皆の生活も知りたい、私が成しえなかった就職という生活がどんなつらくて、どれほど楽しいのか。
ともに上目指す彼らが、どのような現状に立たされているか。

明日は上海に住む人と会う機会をいただいている。
そして明日からはなんと上海の夜景を一望できる建物の中に入ってる部屋に泊まることになった。
ここよりかは少し高いが、残り少ない上海生活を満喫しようと思う。

ちなみにこのユースホステルにいる女の子がスラムダンクの大ファンだというので、『あれから10日後』の存在を教えてあげたら食いついてきた。
私のしらない漫画のタイトルからジャニーズの名前まで、かなりの日本通だ。
英語、日本語、そして中国語というその三つがあればアジアのどこでも職がありそうなものだ。
なのにここでアルバイトをしている。
独学であそこまで日本語をしゃべれるようになるのだ。
私も頑張らないと、何かを。

明日は何が起きるだろうか、何も起きないだろうか。
わくわくしながら今日もこの、ユースホステルという異空間で寝るとする。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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