2-57. 巨乳と鳩胸とアジア感-ウルチン-

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バスステーションから出ると、そこにいたのは数多くの客引きであった。

『宿!宿!』『うち泊まれ!』『タクシー!』

まだ早朝だったため、カプチーノを呑んでから決めようとおもっていると、一人の叔母さんが話しかけてくる。

『ハウマッチ?』
と聞くと、ハウマッチすらもわからない。
横から英語のできる青年が手助けしてきて、値段が20ユーロ、15ユーロ、10ユーロと下がって行く。

ちょっと考えとく。

そう言ってから数分すると、また話しかけてきて、値段はまた20ユーロになっていた。

結局、翌日発のバスが朝早いこともあり、私はバスステーションに野宿することにしたのだが、この久しぶりの感じはなんだろう。

そう、アジア感である。
これは私がインドやパキスタンで味わった経験と、同じであった。

ウルチンはモンテネグロのビーチリゾートであり、観光地である…のだと思う。

正直、東欧に入ってからガイドブックの類も一切見ていなく、モンテネグロのしかもリゾート地に私が足を踏み入れるなんておもってもいなかったので、この場所がどれほど有名なのかもわからない。

ただそこは紛れもなく地中海、海は遠目からだと空以上に青く、入ってみると足がつかなくなっても下が見通せるほど透明であった。

そういえばパキスタンにいるときの、私の目標はパキスタン人のように黒くなることだった。
ラホールでは寝込んでしまい、クエッタはあまり外を出歩けなかったので叶わぬ夢となったが、ここでトライするのもいいだろうと思い、私は褐色のアルバニア人達と共に体を焼き、海に入るを繰り返す。

アルバニア人は、私たちを見分ける術を知っているのだろうか?他の多くの国が私に対して『チャイナ?』と聞くのに対してプリシュティナとウルチンでは最初に『ジャポニ?』と聞いてくる。

せっかく『チンチャンチョン』に対して、『おお!マイネームイズチンチャンチョン!ファイドゥーユーノー?ははは!イッツジョーク!』というお洒落な返しを考えたのに、あまり使う機会がない。

ちなみに私は日本の女性が好きである。
スタイルの良さも、ビーチにいる女性を平均化すればきっと日本人に勝てる国などないのではないだろうか?

三段腹で、どれが胸かもわからない老婦もビキニをきてビーチを楽しんでいる。
家族で来て、老夫婦は寄り添いながら寝て、母親のお腹をまくらに、いい年の青年が寝ている。

私は、外国人のこんな『恥ずかしげのない』(日本人的に)遊びの過ごし方が好きであり憧れる。未だにハグもキスも習得できない私には無理な話なのだろうが。

日本では決して見られないであろう一面ビキニ美女の海で、美女の谷間を眺めていると、子供の集団が話しかけて来た。

水泳部時代に習得した潜水を披露したあとに、現地の言葉で話しかけて来たので。
『ごめんね、わからないんだ。でも僕は日本人だよ!』というと、案の定出身を聞いていたのか、納得したのだが、その後後ろの女子集団をみると、自分の胸のあたりを指差して、何かコソコソ言っている。

私のことをあまり、ご存知ない人のために説明しておくと、私の胸は『ガンダム式』と言われる特殊な鳩胸の形状をしていて、始めて見る人からすると、異形である。

ちなみにこのことは日本の友人の中では時折笑の種になる公然の事実なのであるが、海外に出て指摘されたのは二度目である。

もう一度はパキスタン人に『お前は胸に何を仕込んでるんだ?』と言われたときである。

話を彼女達に戻すと、きっと彼女らは『日本人って胸、すごい形してるね』とでも言っていたのだろう。
正常な胸部を持つ日本人方々には大変申し訳ないことをした。彼女達にとっては、私が日本の代表なのだ。
ビーチから引き上げ、美味しそうな魚介類を横目にピザを食べてブラブラ歩いていると、旧市街に紛れ込む。
ヨーロッパにはどこにでも旧市街があるものなのだな…

私はそこでパンをかじりながら、3時間夕日が沈むのを眺めていた。

地中海に沈む夕日である。
見えはしないが、この先にはイタリアがあるのだろう。
やはりリゾート地にはくるべきである。
ビーチと旧市街とは忙し旅においても心を癒してくれる。

帰り際、バスステーションまでの道のりでも私はアジアを感じていた。
物乞いの仕方がまさしくアジアであった。
子供を抱えて、子供が人が通るたびに咳き込む。
金をくれないと怒る。
体重計…

なによりそこに立ち込める空気が、いるのはヨーロッパ人にも関わらずアジア感であったのだ。
結局アジア感とは何なのだろう?
金に群がる光景がアジア人なのだろうか。

例えば、日本に住む人間が皆欧米人の容姿になっても、そこにアジア感は見られるのだろうか?

私の想像するアジアというものが貧困によって成し得ているのならなんだか少し悲しい気もしたが。
大丈夫だろう、きっとインドがいくら裕福な国になろうと、アジア感の最後の防波堤になってくれる。
彼らの中には収入が得られても物乞いをしてる人がいるはずだ。

アジア、あの面白さは何なのだろう。
何もしなくても起きる事件は、何もない日常に刺激を与えてくれる。
ヨーロッパの美しい光景は、逆に忙しい毎日に平穏をもたらしてくれることだろう。

そんなことを考えながら、私は椅子の上で翌朝のバスを待っていた。
次は地中海一の観光名所、ドブロニクである。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

3件のコメント

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    見分けれているのではなく、いるアジア人の中で日本人の割合が高いからかもしれない。昔リゾートにいくと、日本語で話しかけられ、今リゾートに行くと、中国語で話しかけられるらしい。要するに確率が一番高いのに張っている感じだと思っています。

  2. SECRET: 0
    PASS:
    prof様
    でもですね、若者が『チャイナ?』って聞いた瞬間に横にいた老人が『NO、彼はジャパニーズだよ、そうだろ?』ってやり取りもあったんで。こっちのひとはなんとなく見分けがついてる気がするんですよね。実際、中国人とその他を見分けるのは簡単ですからねぇ…髪が長い中国人はあんまりいないですから。

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