2-58. 宝石箱-ドブロニク-

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ウルチンから5時間かけて進んだ場所にあるのは、ドブロニク。

日本でも、宮崎駿の空飛ぶ豚の話の舞台として有名な、地中海でも最も有名な観光地な一つである。

『ドブロニクに行かないの??』
という日本人の言葉と
『なんでそんなつまらないところばっか行くの?』
というプリシュティナでホームステイさせてもらった人の言葉から、私はそこに一応行くことに決めた。
何よりウルチンで楽しいビーチを経験したことが、私をわくわくさせてくれた。

バスターミナルで着くと、今までにない数のバックパッカーと船の数に驚かされる。
欧米人の旅の人気スポットなのだろう。トルコからこちら側では、バックパッカーの様相も異なり、アジア側では『旅』という言葉が似あったが、こちらではもう休暇の楽しみ方の一つでしかないのだろう。

私はその値段の高さから、ドブロニクには泊まることが出来ないと考えたため、荷物を駅に預けて、夜発のバスチケットを買ってから街に出る。

人の波に任せて歩くと、見えてきた海に私は感動した。
綺麗という言葉では足りなさすぎるほどに、美しかった。

城壁に囲まれた旧市街は、今まで見てきた旧市街の中でも、最も完成度が高く。
質の高いパフォーマーとブルースやジャズの生演奏、レストランやバー。
その質は同時に物価の高さも表し、物価を表すならば、まるでディズニーランドであった。

何個かある、ホテルに隣接したプライベートビーチのようなところは、まるでプールのように水が透き通っていた、舐めなければそこが海だということが分からないほどだ。

山に登り、そこからの景色を眺めたときに、私は自分に何の才能もないことがこれほどまでに悔やまれたことはない。
私が絵をかけたなら、それを描いただろう。
私が写真が撮れたなら、その景色を綺麗に写しただろう。
私が映画が撮れたなら、その景色だけで一本のストーリーを構成できそうな。

そう、宮崎駿がこれを見て映画の舞台にしたのも納得のいく美しさだった。

ただ、磨かれた宝石は、同時に作り物としてのつまらなさもあるのである。

観光業によって旧ユーゴスラビアの中でも頭一つ抜けて成長し、EUにも加盟したのだから、この美しさはクロアチアの現在を表す一つの場所に違いはないはずである。

しかし、その場にいるのは、クロアチアの人々よりも観光客が多く、レストランからその他のものに関して、すべてが見世物のような気がしてくる。
私が家族や友人、そして恋人とここに来たのならば、きっとこの上なく楽しめたであろう。感動しただろう。

しかし私は一人である。私は一人であるという

私はその一人であるという孤独感も相まってか、その場所にいるのがものすごくつまらなかった。
時として、『何をするかではなく、誰とするかだ』と言う考えがある。

つまりは『気の合う仲間』と旅行に行けばどこに行っても楽しいだろう。
現に、気の合う日本人と一緒に行動したアルメニアからトルコまでのルートがそれを証明している。

しかし、私は決して友人との思い出づくりのためにドアを開けたのではないのだ。

『じゃぁ何のためなのだ』

そういわれれば私は答えられる明確な答えを持っていない。

ただ、休暇で訪れるようなところに来たかったわけではないのだ。
ドブロニクで私はそれを再確認させられた。

信じよう、観光地なんていつか行けばいい、そこに行けるような人生を目標に歩めばいいじゃないか。
例え日本にいる友人達にうらやましがられないような旅だとしても、自分の納得いく道を進もう。

そう思う観光地での滞在であった

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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