2-67. 朝までラーメン討論!-ドュッセルドルフ-

ramen131002001

バスが満席で困っているところにホストが教えてくれた車の相乗りサイトを利用して、ドュッセルドルフまで行く。
ドュッセルドルフに深夜についてしまったため、ターミナル泊となってしまう。

翌朝、眠気眼をこすりながら街に出る。マップをもらうとそこには『日本ストリート』や『フランスストリート』などと色分けされて記載されている。なんと国際色豊かな街であるか。

皆さまはラーメンが好きだろうか?

私は大好きである、だが、ラーメン好きな人間と話すのは苦手である。
彼らはラーメンの話になると、身を乗り出して

『○○の○○っていうラーメン屋行った!?』

とたずねてくる。

私はラーメンは大好きだが、ラーメンを食べるために電車に乗ったりはしない。
私はいかに自慢の油っこさが薄くなろうが、味が落ちたと評判になろうが、系列店の中で一番ひどいとうわさが流れようが、地元にあるラーメン屋をこよなく愛している。

小学校の時、これぞというラーメン屋がなかった我が地元に突如としてあらわれたラーメン屋は私にとってお袋の味ような存在である。

私は決してラーメンコレクターではない、ラーメンが好きで、地元にあるラーメンがおいしくて、それで十分なのである。

故に私は『ラーメン好き?』と聞かれれば『好き』と答えるが、巷で行われる『朝までラーメン激論』には参加できなかった。
どこのどこラーメンがうまいかなんてご存じないのである。参加できると言えば、私はとんこつ醤油派で太麺、ホウレンソウと海苔が入ったラーメンが好きである。トッピングを付け加えるなら葱である、青でも白でもどちらでもよい。

そんなラーメン話のネタを持たぬ私にも、ラーメンについて話すネタが出来た。

ここドュッセルドルフにあるジャパニーズコミュニティはヨーロッパ最大級であり、そこには串焼屋や寿司、和物販売やおにぎり屋が並んでいる。建物もビルが多く、そこが日本だと言われても何にも疑わないであろうほど、日本であった。
そしてその日本ストリートには、ヨーロッパ一うまいと言われるラーメン屋がある。

私はずっと避けてきた日本料理をここドイツに来て食べることにした。味噌ラーメンセット。12ユーロ…
なんという贅沢!なんという贅沢であろう!12ユーロがあればアジアでデザート付のフルコースが食べられるんじゃないだろうか?

味については答えることが出来ない。私には『久々の日本のラーメン』というフィルターがあった。
コレクターがわざわざ確認しにいって『たいしたことないじゃん』なんていわれてもたまったものじゃない。

ただ、私は今後ラーメン激論に加わるときにこう言うだろう。

『ドュッセルドルフにあるラーメン食べたことないの?』

ちなみにラーメンは外国人にも人気で、外のテラスはアジア人以外の外国人で埋め尽くされていた。
鉄板焼きや寿司もそうだ、中をのぞいて、日本人だらけだったのは串焼居酒屋、ここだけは日本のリーマンおっさん風景と何も変わらなかった。



ドュッセルドルフから電車で30分の距離にケルンという街がある。ケルン大聖堂である、名前だけでも聞いたことがないだろうか?
大聖堂と言うほどだ、大きくて立派、すごい。
でも街は平凡、ショッピングストリートだらけで面白くない。ドュッセルドルフの通りや川沿いにある変な建物群や旧市街の方がよっぽど面白かったと思いながら夕刻時に帰ろうと、川沿いを歩いて大聖堂の前を通った時。

大聖堂と夕刻の色、ストリートミュージシャンの奏でる音色とその場にいる人間たち、路上生活者や酔っ払い、若者。
それらすべてがマッチして、まるで夢の中にいるかのような気持ちになる。
ああ、素敵だ、どうしてこんな夢なようなところに私はいるのだろうか。

感動は突然としてあらわれては、素早く立ち去ってしまう。
海外を旅しているとそういう『夢の中に入り込んだ』ような経験を何度かする。しかし、何度かしかしない。

感動は、多くのものが上手にマッチングしないと生まれないのだ。逆にそれがうまくマッチングすればどこでも生まれることがある。

そう、別に日本でも生まれるはずである。

一つ一つの感動を、ちゃんと感動して生きることが出来れば、人生はもっと素敵なはずである。
皆も感情を動かそう。そんなもの、どこにいようときっとどこにでも転がっているはずなのである。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です