2-69. ワレ到着セリ。-ロンドン-

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気づいたらバスはベルギーを超えてフランスに来ていた。
悪名高い入国審査を『学生だよ!本当だよ!学生!!』となんとか切り抜け
フェリーの看板で大陸とオサラバして、数時間後。
目の前に見えるのは英国。

私はそのさらに数時間後、私の目的地ともいえる友人と、一年ぶりの再会を果たした。
ビクトリアコーチ駅、スターバックスコーヒー。

それは私の旅の一幕が、終わったことを意味する。
私は彼に会うために道を選び、彼に会うために急いできた。

以下の文章は私がトルコで書き上げた文章である。
そう、こういうフィナーレを迎えること考えて。

一つ、書き加えたことと言えば、フィナーレがフィナーレではなくなってしまったことだ。
三部作ぐらいになりそうな勢いである。

 

 

-空を見上げたことない人間が、そこを飛びたいと願うだろうか?

宇宙を想像出来ない人間が、そこにいって見たいと思うだろうか?

否。憧れには必ずそれを想像させてくれる、見させてくれる何かのきっかけが必要なはずである。
私のそれは、小田実の『なんでも見てやろう』に始まり、何故か就活中に読み始めてしまった『深夜特急』で憧れを抱き、海外留学をしている友人が引き金になった。

時に、デリーからロンドンまでという道のりを、沢木耕太郎と言われることが多々あったが。
甲本ヒロトが『ジョーのようになる。それは真似ることじゃなく、誰も真似しないことでした』と言うように、私は決して同じルートを通りたかったわけではない。
その人間に最大限の憧れを抱くのであれば、それと同じことをするのは決して近づく方法ではないというのが私の考えである。

では、なぜ『デリーからロンドン』であったのか?

私は、『僕の就職活動放浪記』から続く、この物語において、一人の男との出来事を省略して書き上げてきた。彼なしにはこの物語が始まることはなかっただろうし終わることも決してありえない。

私の就活中に海外に旅立った彼は、私が普通の就活をしていることに何か違和感を感じていたのかもしれない。いや、そう見えたのは私自信が違和感を感じていたからかもしれないが。

『本当にそれでいいの?』
そんな感じで問いかける彼に、私はこう言った。
『俺はね、お前が思うような特別な人間ではないんだよ。見せかけだよ。』

彼とは高校入学以来の友人である。
真面目で、どこかおとなしかった我が高校の違和感を、初年度から共有し、私たちは毎日のように離れで二人で昼食をとっていた。

きっと彼は面白かったのだろう、私の反骨精神が織りなす、教師への反抗が。
『狂ってるのは俺じゃなくてお前だからな、世間だからな』
当時の私は恥ずかしげもなくそんなセリフを吐けるほどアナーキストであった。
そして彼はバカであった、バカゆえにきっと面白がったのだろう。

バカと言うのは決して何も考えていないわけではない。
だが、私から見ると、その時の彼は、その考えを発信する言葉と知識を持っていなかっただけかもしれない。

高校3年時から、私は何故か今までそっぽを向いていた学校の連中から体育祭応援団長に推薦されるほどになる。団長に部長であったのだからこれでは人気者エリートコースである。もちろん、その役を皆が本心で適役だと思っていたかはわからないが。

それと同時に、彼との距離は少しずつ離れていった。
私が学校の阿呆みたいな行事に性を出すという熱血学生に早変わりしたとき、彼は将来を見据えて受験勉強をしていた。
そして彼は『自分の道のために』留年した。
私はターゲット1900を20単語で断念したにも関わらず、そ
れら学校行事の参加が認められたのか、すんなりと大学生になってしまった。

その時の苦労のなさ、そして高校三年で得た偽りのような人気が、私の目を『未来』ではなく『今』に向けた。
何になりたいか、どうしたいか。
そんな将来の目標や夢に対する思考を完全停止して、学生生活を送り、酒とセックスにハマっている間に、彼は努力をし、知識をつけた。

気づいたときには、私は彼に『差』を感じるようになっていた。
思いの差、考えの差。
そして彼が海外に行くときに私が感じた決定的な行動の差であった。

彼がバカでなくなったかと言われれば、きっとそうではない。
バカであるが故のエネルギーを悩みながらも進むことに使えるのかもしれない。

私は自分が利口であると勘違いし、そして多くのことを理由を付けて諦める生活をしていた。
就職活動においてもそうであった。

しかし、諦めることは簡単だが、そこから己を信じることはとてつもなく難しい。
諦めはまるでドラッグのように習慣化していき、いつしか自分の心を気付かぬうちに無気力へと変えてしまう。

皆様夢はあるだろうか?

私は小さい頃は大工に、小学校の時はオリンピック選手に。ここまではよかった。
だが、中学に入ってからの私はどこか夢に絶望していた。毎日のように切り替わる好奇心と、諦めと言うドラッグに浸かっていたのだ。

夢、それはまだ見つけられずに、私はここにいるが。

それでも一年前の私は確かにドラッグの常用者だった。
『何かやらかしたい』
そんな大人になれない人間のくせに、石橋は叩いた上に渡らないのだから、とてもじゃないが青春とは呼べないだろう。
私は特に何も考えもせずに、大学の友人に言った。
『俺、就活失敗したら世界旅するわ。』

夏、私は就活の何が成功なのかもわからずに路頭に迷っていた、よく考えればはじめたこと自体が失敗だったような気もする。
そんな時に、思い出すのが一年前友人に言った一言だった。
『世界旅するわ。』

なーんて、無理に決まっている。
英語できないし。第一金がかない。

『またそうやってドラッグに甘える』
『いやいや、でも現実的に考えて』
『新卒逃したら難しい世の中だよ?』
『これ逃したらお前は一生臆病者だよ?』

本当の自分はどっちなんだ?

そんな時に海外に旅立って行った友人が言った。
『お前も来いよ、こっちには、そっちにないものがたくさんある。』

それと共に、面接官に言われた一言が、私をやっとドラッグから抜けさせた。

違う、私が10代のころに思い描いていた自分はこんなんじゃなかった。

私はこの旅を思いついた時、世の中にこんなにバックパッカーがいるなんて知らなかった。
調べて見て、始めて世の中にはそのような人がたくさんいるのだと気づいた。
旅して見て、私がしたことはなんら特別なことではないのだと、気付いた。
もちろん、日本人のいない街もあったが、そこは過去に、誰かが通ったルートなのだ。

皆に特別だと思われたい願望がないわけではないが、それでも、自分の中でこの旅はこの上なく特別であった。そっちのほうが何倍も重要である。

旅の間、私はなるべく自分に負荷をかけた。
ガイドブックも持たなかった。あれを持ってしまっては、ただ単に国から国へと旅行することにすぎない。
デリーからの一切は航空券を使わなかった。
航空券を使うなら、一度日本に帰ってもいいじゃないかと思ったからだ。

しかしパソコンは持った。皆に伝えるためと、安全の防波堤として。

英語が出来ない私の、これはチャレンジだった。
成功したら日本に帰っても、なんだって挑戦できると思えた。その自信がほしかった。

話が長くなってしまったが、なぜ『デリーからロンドン』なのか。
私の友人の留学先はイギリスのロンドンである。

『んじゃぁさ。ロンドン目指していくから、着いたら再会しよう。飲みながら、俺の旅の成功と、お前の留学の終わりを祝って語り合おう。』

オシャレだな、と思った。
その到着地ロンドンを起点に陸路移動で考えると、どうしても予算的にも期間的にもインドより東からはスタートできなかったのである。

そのためには、一部の旅行者から危険だからやめなさいと言われるルートを通らないといけないこともあった。そこで捕まれば、私の両親や国に多大なる迷惑をかけ、私の人生は絶望的な余命か死しか選択できなくなってしまう。
しかし、私は言いたかった。

『国境の壁も、テロリストの脅威も、知ったことか。俺はただ家のドアを開けて、友人に会いに行くだけなのだ。』

この友人が女性であったなら、愛のための壮大な旅行記としてドラマ化でもされていただろうが。
私には私を待ってくれている女性など、世の中に一人だっていなかった。

私が海外で歩き続けられたのは、二人の友人の存在がある。
一人は背中を押してくれた留学している友人である。
もう一人は現在別々の道を行く、日本から私を見守ってくれていた友人である。
何が普通かなんて誰にも分からないがことだが、少なくとも周りの人間に流されないで自分の決断を信じて、歩んでいる。
この私を含めた三人の道は現在別々であるが。私は何故か同じ道を歩んでいるような気がしている。

しかしながら、私はうまいように軌道に乗り、就職した友人や、就職までの期間をさらに設けるために大学院に行った友人に対し『くだらない、つまらない』そんな感情を抱いているわけではない。
もちろん、納得したうえで就職した友人たちには憧れさえ抱いているし、そうでない人々には尊敬の念を抱いている。私のこの旅は消費以外の何物でもなかったからだ。

それ故、私のこのブログのタイトルは『人生皆旅してる。』である。

そう、私の旅はここで終わったわけではない。
いや、むしろ『新卒を捨てても、私の人生はエンジョイしている』という証明のために始めたといってもいい。

そう、続くのだ。そしてむしろ今やっとスタートラインに立てた。
『夢』今は人々が唱える『平和』のように、おぼろげにしか見えず、明確な形を持っていない上、それを叶えることはこの上なく難しいかもしれない。
しかし、いつかはきっと叶うはずであるし、それに向けて進む準備ができた。

夢な
んてのは結局自分が幸せになるかどうかなのである。
幸せとは何か?

幸せの多様性などは、私が国々を旅して一番感じたことで
ある。

金か
?友人の量か?
FBの友達が多ければ幸せか?
海外に行って自慢できることが幸せか?

それだって幸せの基準の一つになり得るかもしれないし、競争は時に必要なことかもしれない。

でももっと大切なのは、自分の中の絶対的基準の幸せを見つけることなのではないだろうか?
誰かと比べて、誰かに幸せの基準をコントロールされることこそ、不幸じゃないだろうか?

私は少なくとも、他の誰でも計れない、自分の基準で生きたいと思う。

このブログは、私の両親や親戚といった、娯楽的にに楽しんでいる人もいれば。
出発前にであったニートになってしまった男のように、苦悩葛藤している人も見てくれていることだろう。
彼らにこそ見てほしいし、彼らと共に光を探したい。

人は皆人生旅してる。貴方の人生も例外ではない。
旅は自由である。旅は幸せを探すためのものである。

この旅のすべてが喜びによって形成されていたわけではない。しかし、それをはるかに凌駕する多くの幸せを、私に与えてくれた。

人生だってそうではないだろうか?

さぁ、帰ったら一杯やろう。覚えているでしょうか?一年前の約束。
成長したか?まだというならもう一年待とう。

日本のキンキンに冷えたビールで、語り合おう、苦悩を、葛藤を、そして将来を。
あなたの驕りで。

ワレ到着セリ

私の海外での生活は、親戚と友人の力を借りてもう少し続くことになるが。
ここから先はもう世界旅行ではない。

私の夢のための、人生のための、勉強のための旅になるはずだ。

今働く多くの友人には大きな遅れをとってしまったが、待っていて欲しい、必ずいつか同じ立ち位置で話し合える日が来るはずだから。
では、これからもまだ一応続くであろう、私の旅を、見守ってくれれば喜ばしい。

何はともあれ、当初の目標は達成されたのだ。

…友人に会うための旅-完-


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

4件のコメント

  1. SECRET: 0
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    無事着いて、何よりです(^o^)!
    良かった~!!
    日本帰って来たら教えて下さいね!

  2. SECRET: 0
    PASS:
    おたんこ様
    ありがとうございます。皆の気持ちが背中を押してくれました。
    ただ、日本に帰るのはもう少し後になりそうです。
    何故かというと、僕はこの旅で多くの広い考えと世界を学びました。
    学んだけども、それから何も得ていません。やっぱり海外に行ったのに、何も得ないで帰るのは少し悲しいと思うのです。何か得たい、今までは移動のために使っていたエネルギーを、今度はそれを得るために向けたいと思います。ブログもまだ続けるので、よろしくお願いします。

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