2-71. 英語-ロンドン-

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これだけの国を旅してきたし、皆が外に出るときは英語が必須だと思い込んでるけども、英語圏の国は、ここイギリスしかないわけだ。

『僕は英語が出来ない』

これは、私が今回の旅を『チャレンジ』として位置付けることが出来た理由の一つだったと思う。
ガイドブックも持たないで、陸路で、英語が出来ない私が旅をする。それは日本にいた時の自分からすれば無謀なチャレンジだと思っていた。

私の旅は中国の上海から始まった。
この国では当然のように英語がいらなかった。
中心地ならまだしも、少し離れるとまったく通じない。

『筆談が通じる』

という話も、半分が嘘だった、ほとんど通じない、旧漢字。
だから私はうれしい時には手帳一杯に『善良最高素敵』などいい文字をかいて表現して
逆に怖いときには『盗人怖』などと書いた。
意味が伝わったかはわからないが、気持ちは伝わっていた。

また、上海で出会った中国人の青年が私と熱心に会話してくれたことで私の英語に対するコンプレックスは薄れていった。
『通じている…』もちろん、通じていないこともったが、私の語学力だけでもボディランゲージを交えることでなんとか会話が成立していた。
この経験が今後の私をかなり自由にしてくれたのは言うまでもない。

インドのバラナシの宿の女性はインド人の早い英語でも相手の言わんとしていることを予測することで会話が成立することが出来た。この時から私は『気持ちいい会話』を何度となく外国人とすることが出来た。

『自信』なのだ。自分が英語が出来るんだと言い聞かせる、または『英語が出来なくて何が悪い』そう思うと会話は潤滑になる。

パキスタンではその自信をつけられた。
マーケットに行くと若者が声をかけてくる、『English?』まぁしゃべれるのか?と聞いているのだろう。
『Little』という。そうすると『こいつ英語しゃべれねーぞ!!』と笑ってくるその若者の英語力は私よりも低い。
これでいいんだよな、こいつでも自分英語できるって思ってるんだ、自信持とう、そう思えた。

私の英語力はパキスタンでピークを迎えたと思う。
お喋り好きで優しく、細かいことなんて気にしない彼らの性格が私を会話を楽しませてくれたし、向こう自体もあまり流暢な英語を話す人間がいなかったのがよかったのかもしれない。

『カタカナ英語よ共通語であれ』である。

そのパキスタンでの楽しさが、私をイランでイラつかせたのかもしれない。
イラン人は、中国以上に英語が出来なかった。少なくとも私は女性以外に英語を上手に扱う人に会わなかったし、交通機関に準ずる人間でも、ほとんど話せなかった。

さて、イランを出た後、アルメニアからトルコにかけては日本人と共に行動していた。
あまり外国人とは接しなかったと思う。

ヨーロッパに入ると、私は英語で自分を紹介するのが安易になっていた。

『俺はパキスタン、イランを通ってここまで来たんだ』

私はそれまでの旅で『話すこと』を持っていた。

この『話すこと』というのが、意外と英語よりも大変だったりする。
相手を喜ばせる会話はどんなのなのか、そう考えながら自分のストーリーを話す。

しかし、ヨーロッパでは限界も感じてしまった。
わたしはもう、こんな英語力でもコミュニケーションをとれることを知ったし
私の話で外国人を笑わせることぐらいはできるようになった。

しかし、もっと深い話、もっと濃い話が出来ないのだ。
何に喜怒哀楽してるのか、世界をどう思うのか。

日本人と話せば夜が明けるような、そんな話が出来ない。
私が出来るのは所詮数分のお見合い的会話でしかないのだ。

前日、日英交流会というのがパブで開かれているというので、友人に連れられて行ってきた。
日本語が出来るイギリス人を友人が私に紹介してくれたが、私は英語で話した。
その場に『日本語が分からない人』がいたからだ。

そして私が話したことと言えば、今までの旅の話、好きな音楽、名前の意味等。
まるでお見合いの最初の会話、入道部分。

帰り道、友人に聞くと彼は他のイギリス人と語学に対するディープな話をしていた。

これが英語を勉強して習得した人間と、トラベル英会話の私の差なのだ。
わたしが知っているコミュニケーション方法は2.3日遊ぶ友達作りと、移動と注文のための英会話に過ぎない。
それに対して彼らはもうその地に住める会話を持っている。

わたしがいまいる場所はロンドンで、私はまだ西欧もほとんど行っていない上に、大陸だってアフリカや南米、アメリカとある。

そこに行く選択肢もあったのだが、私の心はいまそちらには向いていない。
それはやはり『英語が出来ない』ことがある。

壮大な山も
繊細な彫刻建造物も
美しい町並みも

そんなものよりもやっぱり私が好きなのは人なのだ。
人ともっとコミュニケーションを取りたい。

もちろん、その国にはその国の言葉があって、英語を学べばすべての人々と話せるわけではないが。
広がるだろう、少なくとも。そう願って。

さぁ、結論を言おう。

英語が出来ないことが日本から外に出ることの妨げになるかと言えば、決してならないだろう。
ただ、外に出たら必然的に英語を勉強したくなるだろう。
そういう意味では、英語を勉強してから外に出るのも得策であはる。

ただ、英語が出来ないことを殻にして内に閉じこもってる人がいたならこう言おう。

貴方を囲うその殻は、少しの衝撃でびっくりするぐらい簡単に割れるはずである。

さぁ衝撃を加えよう、外に出よう。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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