2-72. またね-ロンドン-

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日本の、今年の夏はとても暑いという噂があちらこちらから聞こえてきますが、私は、澄んだ空気の美味しさと、夏の終りの涼しさを嗜むように、ロンドンのウインブルドンで暮らしています。

日本の花咲く一番豊で美しい季節を逃して、ユウラシア大陸を抜けてきたんだもの。故郷の暑さを逃れたって誰も文句は言われないでしょう。

ロンドンには本当にさまざまな顔があります、友人がここに留まりたいと願った理由も、世界中の人を魅了し続ける理由も、わかる気がします。

ある日、由緒正しき貧困街であったイーストエンドを見てやろうと適当にバスに乗りました。
ロンドンは道が狭いくせに有名な赤い二階建てのバスが所せましと走っています。毎度、ぶつかりそうだとハラハラしながらも、 運転手はうまい具合に避けて通っていきます。
方向さえあってれば適当でもたどり着いてしまうのです、なので、適当に乗るのでいいのです。

そうして東へ東へとバスに乗っていると、だんだんと白人が見当たらなくなってきます。
乗ってくるのはインド人やアフリカ系、ムスリム系、そして中国か日本か韓国なのであろう人々です。
ついには一人も肌の色が白い人はいなくなってしまいました。

到着したホワイトチャペルで私は、なんとも言えない安堵感と懐かしさを感じました。

そう、それはトルコより以東のアジアの雰囲気でした。
質の悪そうな安服や一切おいしそうに見えない並べ方の果物の露店が並び、レストラン、というにはなんだかみっともないお店の文字は、英語の方が少ないほどです。

私はそれを見て、上流階級の人のように『ベリーダーテイー』なんていって眉を顰めるなんてことはなく、胸躍り、喜びました。

それは、私に流れるのがアジアの血だからなのか、アジアの貧困地区での暮らしがながかったからなのかわかりませんが、私にはロンドンの立派な町並みよりも、こっちのほうが相応だなと思えたのです。

行き交う働く人々も、ヘジャブを身にまとう女性か、黒色の男性しか見かけなかったように思います。
私には、ロンドンという街はまだ少し高すぎるのかもしれません。

私はそんなロンドンでの生活のほとんどを、日本からの私の友人であった男と過ごしました。

かれは朝晩の食事のみならず、昼食の弁当まで作ってくれた上に、私を泊めてくれて、いろいろと面倒も見てくれました。
彼だって帰国前の忙しい時期なのに、それでも私と行動を共にしてくれ、私も彼の最後の思い出づくりのために歩きました。

ヒースロー空港で、彼は私と彼の語学学校の友人たちを前にして涙を流しました。
私にはそれを見るのが初めてだったから、少し驚きましたが、帰りを惜しむ第二の故郷を見つけたこと、そして見送ってくれる友人を作ってくれたことがこの上なく羨ましくなったと同時に、私はこの旅でいったい何を得たのかと、考えずにはいられません。
私は彼にとっての英語のようなものは何も得ていなく、数字化できない抽象的なものでしか得ていないのです。

それに、私はその抽象的なことでさえ、彼と過ごしたロンドンの間で、すべて語り合えたかと言われるとそうじゃありません。
あれだけ話したいことがたくさんあったのに、いざ面と向かうとなかなか言葉が出てきません。
友人とは、意外とそういうものなのです。

でも彼は行っていました。『日本に帰っても尖っててやるよ』 と。
私は、私が彼に対して好意を抱く意味がなんとなく分かった気もしました。

彼は、順風満帆に人生を過ごす人を見て、特別な感情を抱いているとき、嫉妬という言葉で片付けたのだけど、私はそれが大衆性によるつまらなさ、つまりは私たちが世間に対するファックユーを持っているからなのではないかと思うのです。

よく考えれば、私たちはそんな出会いでした。パンクロックが好きで、常識が嫌い。
つまらない人生が嫌いで、つまらない人生は世間が決める普通という名の人生です。

私は一つだけ思います。彼がもし、つまらない男になっていたなら、中指立てるでしょう。
きっと彼だってそうするでしょう。

私が彼に抱く感情こそが嫉妬であるのかもしれません。
それは悪いことではありません。嫉妬は、遠くかなたの人間には抱かないのだから、その思いが本当なら道はそこに続いてるはずなのです。

彼からもらったこのバトン、彼に恥じぬように世間に中指立てて行きましょう。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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