3-9. 何のために生きているのか-トロント-

1604736_654534657933232_3879599555523586519_n

3か月以上も更新しない日々が続いた。

何もなかったわけでもない。
さまざまなことがあった。

それでも書く気が生まれなかったのは、きっとそこに羅列する言葉が、誰にとっても良い影響を与えないと思ってしまったからである。

旅をしているときに、私は国から国へと進み続けている割には、自分の人生が停滞しているのではないかという不安に押しつぶされることが何度もあった。

私が日本を出たときに、日本の友人たちは職に就いた。
仕事があるということ、金を稼いでいるということ。
それはそれだけで、その人間の存在価値になりうる。誰も求めていないなら金など生まれない。

日本の友人達が自分に価値を付けているあいだ、私は私の価値がなんなのかもわからずに国から国へと渡り歩いていた。
旅に意味を見出すことなど無意味だ。
旅は、 その期間の長さと同じだけの喜びを私に与えてくれたが、ロンドンについていたときの私に残ったのは、頭の中に溜め込んだ多くの価値観と、素晴らしい思い出だけだ。
プライスレスと言えば聞こえはいいが、私の価値はゼロだった。私は何者でもなかった。
自分が何者か知りたくて旅に出たのかもしれないが、自分は何物でもないのだと、トロントに来て私は思うことになる。

いや、自分は何者でもないのだと、そして自分は何者にでもなれるのだと。
それが分かっただけでも旅をしてよかったのかもしれない。
何者にならなければいけないというレールの上を離脱できただけでも、私が外に出た意味はあったのかもしれない。

しかしその何者でもない私という虚無感に似た感情が私をここで苦しめることになる。
私は何者でもない、そして何者にもなれないかもしれない。
誰にも喜ばれることもなく、悲しまれることもなく、降り積もる雪のように色もなくいつしかそっと消えてしまうのではないか。

私は目の前に果てしなく広がる壮大な人生の中で迷子になった。

『上手くいかない時は何事も上手くいかないものだ』

自分から発せられているのであろう負の空気が周りにも伝染してなのか、それとも自分に閉じこもる負のフィルターがよりネガティブに膨張させているのかわからない。

昨日まで美しかった景色が、憂鬱に思えたり、
昨日まで愉快だった出来事が、苦痛に感じる。

昨日まで美しかったトロントの町並みが、冷たく退屈な街に見える。
昨日まで一緒にいることが愉快でしょうがなかったルームメイトのメキシコ人の話声がうるさく感じてしょうがない。

そういう心境の中、ルームメイトの子と喧嘩をした、『あなたはもちろんボーイフレンドでもなければ家族でもないし、友達でもないわ、ただのルームメイトなの。』と。

彼女をここまで言わせるのは、私の疲労した心身と、未熟な英語もある。
わたしは自分自身を全否定してはまた殻に籠る。

私は家を出た、どう考えても一人になる時間と安らぐ空間が必要だった。

きっとここに、文字通り働きながらのホリデーのつもりで来たのなら、もっと楽なのだろう。
日本人コミニティの中に埋もれ、マリファナに全財産を費やしていただけならきっと楽しいのだろう。

私はそうなりたくない、そう思いながらも何になりたいのかもわからずに自問自答を繰り返し答えの出ない問を説き続けた、終わりのないテスト勉強のようだ。

それが約三か月。上がり下がりがあろうが、心の奥底でずっと、ひっそりと、でも確実に存在を消さない影としてくすんでいた。

トロントに来て約半年が過ぎていった。
職を失い、我が家に居候をしていたチリ人の友人が仕事を見つけて田舎に越していった。
お別れのパーティで元ルームメイトのメキシコ人は私と共に笑い、飲んだ。

一つの区切りが、私自身にもついた気がした。心はふっと軽くなり、背中が伸びるのを感じた。

どんなに辛くても、心が疲労しようとも、日本に帰りたいとは思わなかった、日本に帰れば海外にいるということでぎりぎりにつながれている私の意味がなくなってしまう気もしたからだ。

だが時に、海外にいる意味すらも見いだせないような。
ホリデーを楽しむような金銭的余裕もない中で、私を保たせてくれたのは、私という人間を信じ続けてくれる親であり、友人であった。

‘ワーキングホリデー’や‘留学’と検索の神様に打ち込めば、そこに現れるのは楽しくて、楽しくて、楽しくてしょうがない人々の体験談がむやみやたらに羅列されてくるかもしれない。

それは嘘だ。
身一つで海外に来て、苦悩も葛藤も知らないような人間がいるのなら、その人は本当の意味での‘海外に行く’という感覚を味わっていないのではないかと思う。

豊かな人生とは、単色ではなりえない。
奥深い色を持っていきたい。

キリストは今日死んだ、でも三日で生まれ変わるんだ。

毎日がつらいと嘆く人がいれば、明日に希望が見いだせない人がいれば、共に歩もう。
我々は世の中のすべてを許すほどの寛容さは持っていないかもしれない。
だが、過去の自分を許して、希望ある明日を歩むことはできると思う。

ここまで読んで、不安になった人もいるかもしれないが。
私は元気だ。
どんな辛いことも、笑っていい思い出と言えるほどに、今はとても気が楽だ。

トロントに、春が来た。
滅入った気は4月に降る雪と共に消えて行ってくれたのかもしれない。

暖かくなる気候と共に、次はきっと何かをお伝えできるかもしれない。
そうなるために行動するつもりだ。

ありがとう。
そういいたい。
私を信じてくれた友人に。

おめでとう。
そういいたい。
一歩を踏み出しはじめた私の友人に。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です