3-11. いつの時代だって乳を眺めて安らかに眠りたい-トロント-

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少し前の話になるが、私は4月から二か月間、カレッジの夜間ESLスクールに行っていた。
海外に来たのなら、どうしても『英語での授業』というのを受けてみたいという気持ちをずっと抱いていた。
だがフルタイムの私立学校に通うお金も時間もないし、どうしても若い人が大勢集まっている場所が苦手な私が選んだのは、公立カレッジの夜間学校だった。

ロンドンからトロントに来る途中の飛行機の中で見た映画で、薄暗く汚い教室で40歳もとうに過ぎた大人がつたない英語で勉強をしている授業シーンがあり、『英語を勉強するならこんな場所がいいな!』なんてことを思っていた。

トロントのカレッジは映画の中の教室と違い、とても綺麗で最新の設備がそろっていたが、そこに集まっているのは数人の若者を除いては、ほとんどが移民でこの国にきて、英語に対する真剣な悩みを勉強によって解決しようとしている大人たちであった。

アジア人が多数を占めると言われているトロントのESLスクールで、カレッジの夜間学校では、東アジア人は私だけだった。
そこには値段の安さと、それに伴う字授業環境の悪さ(先生一人に対して生徒は20人)があったのかもしれない。

ほとんどの日本人と同様、私も義務教育で潜在的に英語の基礎はほぼパーフェクトに取得していたのか、事前に受けたクラス分けテスト(ほぼ筆記)で高得点をとってしまったらしく、自分が予想していたよりもだいぶ上のクラスに入れられてしまった。

そこに通っている人の中では、カナダ歴8か月の私は『まだ来たばっかりなのね』であった。
それでも皆私からすれば英語を流暢にしゃべる。それはきっと生活の中で覚えてきた英語なのだろう。
南米とイランからの人々で占める教室の中、私が仲良くなったのは50歳前後のイラン人の男性だった。
私のつたない英語でも嫌な顔ひとつしないで汲み取ってくれて、授業で私がミスを連発しても優しく教えてくれる。
私もなれるならこういう大人になりたい。
シンプルジェントルマンな男性だった。

毎回のように彼と隣り合わせに座り、毎回のように帰り際におしゃべりをして帰った。

『君が宗教的な偏見を持ってないと思って、君を信用して話すんだ。』

と言ってある日、彼が僕に話してくれたのはどうしてカナダに来たかという趣旨のものだった。

『僕はイランで建築家でプロフェッサーだった、イランで私はほとんどすべてのものを持っていた。ここに来たら私は上司にサービス残業を強いられて、英語は娘よりも下手だし、いまだにお店で何かを買うのもプレッシャーなんだ』

『それでもイランで住みたいと思わない。』

その背景にあるのは1979年に起きたイラン革命である。

『私たちには尊敬できる偉大な王がいた、でも革命が起きて、その前の政権に近かった人たちを、新しい政権の人たちはたくさん殺してしまったんだよ。』
『その中にはとっても優秀なパイロットがたくさんいたんだ。』

そして女性は肌を出すことを許されず、頭を隠すことを義務づけられた。

『いまだに僕は思い出すんだ。僕が10代の時はね、多くの女性がビーチでビキニウェアを着ていたんだよ。』
『想像できるかい?イランだよ?』

ある日、あることを境に、ビーチでビキニが見られなくなる、期限未定だ。
考えただけで胸が苦しくなる。公共の場で胸の谷間を見られないのだ。

それでも彼はそれを仕方なくも受け止めて、イランで生きてきた。そうするしかなかった。

『どうしてその歳になってカナダにきたの?それまでは理解できなくても生きて行けたんでしょ?』
私がそう尋ねると、彼は悲しそうに言った。

『娘が出来たんだ。僕は娘が強制的にヘジャブを被せさせられることを考えたときに、どうしてもイランを出ないといけないと考えたんだよ。』

人間には他人を助ける機能が初めから備わっている。
それは赤の他人でもそうだ。ましてや家族になれば人は、命も懸けられる。

『僕がイランを旅していた時に、大統領が変わって、今まで程反欧米文化じゃなくなるんじゃないかって記事を読んだことがあるよ?もしそうなっていったらまたイランで暮らしたいとは思う?』

『政権が変わって、政府は長い間をかけて人々を教育してきた。それがいいか悪いかはその人の価値観だけど、明らかに政府だけじゃなくて、人が変わった。そしてそういった人々の価値観がまた変わるには、少なくとも20年はかかると僕は思うんだ。子供もこの地で生まれ育っている。もう故郷で暮らすことはないと思うよ。』

笑顔で話してくれていても、目は悲しくなっていて、明らかに言葉から激しい感情を汲み取ることが出来た。
そこにあるのは寂しさなのか、悲しさなのか、怒りなのか、憎しみなのか。それとも日本語では、言葉では形容できない、私には想像できない入り混じった感情なのか。

国は右に左にと揺れ動きながらも長い年月をかけて中央を目指してバランスの取れた存在へとなっていく。
私は今、どんなに左右に大きくぶれていようが、きっとあるべき姿へと変わっていくと信じたい。
イランがその例になってくれることを、切に願うと同時に

まるで歴史の教科書に汚点として書かれているような。
私が知っているどんなネガティブな文字をもってしても表せないようなことが起きている。
それは無理に右か左に引っ張ろうとした外部圧力の結果なのか、それとも必然的に生まれてきたものなのか。
それはわからない。

でもシリアやイラクで起きていることが、どんなところで起きてもおかしくないのではないのか。

イランはその二か国から比べればもちろん比較的民主的で安全な国だろう。

だか、学校の親友のおっちゃんが教えてくれた話は、リアーナのケツに興奮を覚えているここアメリカ大陸でも、世界有数のAV大国の日本でも、明日から胸の谷間が見れなくなることが起きかねない、そんな話だった。

どんな価値観が世界的にあってもいい。
でも誰だって強制的に価値観を変えたくはないはずだ。
個人にあった選択ができる世の中に。そして人が人を無駄に殺さない世の中になってくれることを強く望む。

『日本よりも平和』ともいわれるここトロントで暮らしてきて、旅の途中で思っていたほど平和への渇望がなくなってきているなかで、やはり人と話すことで、私が今踏みしめているこの過ごしやすさは絶妙なバランスの上で保っているにすぎないということを思い出さしてくれる。

日本の男子諸君も明日からビキニ姿の美女が見れなくなったらいやだろう?
女性諸君だってビキニが着れなくなたらいやだろう?

そうならないように、世界を知って学ぶことは大切であろう。

おっぱいは平和だ。平和を作るのだ。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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