3-12. 昔は食べたくなかったセロリも今じゃ好物だ。-トロント-3-12. 昔は食べたくなかったセロリも今じゃ好物だ。-トロント-

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育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない。
夏がだめだったり、セロリが好きだったりするよね。

一歩日本を出たとき、故郷との大きな違いに感動したのと裏腹に、それ以降の海外での日々の中で、感動するのは、『同じなんだ!』ってことだったりする。

毎日テレビでアイドルやドラマを眺めるばかり、アメリカやヨーロッパの街も、人もとても美しく思えてきたり。
イスラム国なんて文字を毎日テレビで眺めるがあまり、ムスリムの国々の人々が同じ人間に思えなくなってきたり。

私たちのイメージはいつもいつも一辺倒だ

『そっちにはないものがこっちにはあるんだよ!』

私が海外に出たのは、そんな友人の一言であった。

そして、日本になくて、海外にあるものとはいったい何なんだろうと。
友人の口からだけでなく、この目で見てみたいと思って日本を発ったのだが、
その友人とロンドンで再会した時、私のロンドン到着のブログを読んで、友人が言った一言が胸にずっと残っている。

『俺、そんなこと言ってたんだね。今はあんまり思わないわ。』

その時は何だがネガティブに受け取ってしまったその言葉が、今ならポジティブなんだって思える。

日本を出て間もない頃は、アジア人以外が同じ人間に思えなかった。
聞き返す時は怒ったように聞き返してくるし、笑顔の奥に何を考えてるか読み取れないし。
なんで毎回『How are you?』とか聞いてくるんだよ、元気じゃなく見えるの?とか思っていた。

私は正直な話、マッチョな人と、イケメンと美女を目の前にするとうまく目を合わせられない。
生物としてなんだか劣っているような気がするせいなのか、それとも私が美女だけじゃなくて筋肉とイケメンすらも性の対象としてるからなのかわからないが。(初対面から私が目をあわせられてた人たちすいません。)

結局アジア人以外にうまくコミュニケーションを取れなかったのもそれが原因だったのではないかと思う時がある。

欧米(と韓国)のプロパガンダのせいで彼らの人種はすべてイケメンや美女に見えていたのだろう。
アジア人以外はだいたい立派な筋肉を有しているし。

簡単に言えば、外人コンプレックスなんてのはB専男性の美女コンプレックスとほぼ一緒だったりする。
欧米人が長い年月を持って作り上げたほりが深くて色白で青目でブラウンヘアーがかっこいいなんていう下らないマーケティングの結果だ、くそくらえ、私はは色黒女性が好みなんだ!
なんて、そういう風に思ってみてから、だんだんと『あれ?同じこと思ってる!』『あ、一緒だ!』と思えることが多くなっていった。

だんだんと思ってくる。冒頭の歌詞のように、我々は生まれてきたときは、ほぼ変わりないものだったのだと。『文化の違い』というように、育ってきた環境が違うだけなのだと。
さりげないことだが、トロントの親友であるエルスンが働いているレストランのお客さんの忘れ物を拝借して、ハットを手に入れた時、ハットをかぶったあと、お気に入りの偽物のレイバンのサングラスをかけて、

『What do you think? I think this is too much』

と言ってきた。
日本語で言えば『やりすぎ』なのだろうが。
そんなファッションセンス一つとっても、一緒なことがうれしくて仕方がなかった。
英語も日本語と同じ言い回しを聴いては、感動を繰り返す。

『同じだ!!一緒なんだ!』

数週間前、ほぼ喧嘩別れのように私が家を出ていったっきり連絡を取らなくなったローラから突然連絡がきた。
最後のパーティを除いては、最後の何週間かはつらかった、それは楽しかったその前の時間を忘れてしまうぐらいに。
うれしい気持ちと、また楽しかった時のように話せるか、怖い気持ちを持ち合わせて。
それでも、楽しかった日々を思い返しては、彼女を思い返していた私は、会うことにした。

会っていみればなんてことはない、笑って話した。

努力家の彼女は、トロントで順調にサクセスをつかみ始めていて、身なりも前よりも大人っぽくなっていた。
『生活はましになったけど、地下暮らしで貧乏だった時をたまに思い出すの。』

同じだ。

『ずっと後悔してたし、申し訳ないと思ってた。』

同じだ。
バーを三軒梯子して、私たちは飲んで笑った。
育った環境が違うんだもの、好き嫌いは否めない。
でも結局はそれだけのことだ。

私たちは見た目は大きく異なっているかもしれない。
肌の色も、母国語も違うかもしれない。

それでも探してみれば共通項の方が多いはずだ。

今ならば思える。両親に近い歳の日本人と話すよりも、同じ世代の外国人と話した方が共感が多い。

国は違えど、抱えている悩みは葛藤は近かったりする。

今後どう生きるのか、どうするのか?

私たちは人間というカテゴリーに生まれてきた同じ生物だ。

嬉しくならないだろうか?
私たちは共感しあえる、理解しあえる、話し合える仲間がすべての大地にいるんだ。

違うなんて言わないで、共通点を探し出そう。

違いなんて、セロリが好きか嫌いかぐらいなもんさ、と。

続く…。10599330_717134478339916_1888651261830931880_n

育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない。
夏がだめだったり、セロリが好きだったりするよね。

一歩日本を出たとき、故郷との大きな違いに感動したのと裏腹に、それ以降の海外での日々の中で、感動するのは、『同じなんだ!』ってことだったりする。

毎日テレビでアイドルやドラマを眺めるばかり、アメリカやヨーロッパの街も、人もとても美しく思えてきたり。
イスラム国なんて文字を毎日テレビで眺めるがあまり、ムスリムの国々の人々が同じ人間に思えなくなってきたり。

私たちのイメージはいつもいつも一辺倒だ

『そっちにはないものがこっちにはあるんだよ!』

私が海外に出たのは、そんな友人の一言であった。

そして、日本になくて、海外にあるものとはいったい何なんだろうと。
友人の口からだけでなく、この目で見てみたいと思って日本を発ったのだが、
その友人とロンドンで再会した時、私のロンドン到着のブログを読んで、友人が言った一言が胸にずっと残っている。

『俺、そんなこと言ってたんだね。今はあんまり思わないわ。』

その時は何だがネガティブに受け取ってしまったその言葉が、今ならポジティブなんだって思える。

日本を出て間もない頃は、アジア人以外が同じ人間に思えなかった。
聞き返す時は怒ったように聞き返してくるし、笑顔の奥に何を考えてるか読み取れないし。
なんで毎回『How are you?』とか聞いてくるんだよ、元気じゃなく見えるの?とか思っていた。

私は正直な話、マッチョな人と、イケメンと美女を目の前にするとうまく目を合わせられない。
生物としてなんだか劣っているような気がするせいなのか、それとも私が美女だけじゃなくて筋肉とイケメンすらも性の対象としてるからなのかわからないが。(初対面から私が目をあわせられてた人たちすいません。)

結局アジア人以外にうまくコミュニケーションを取れなかったのもそれが原因だったのではないかと思う時がある。

欧米(と韓国)のプロパガンダのせいで彼らの人種はすべてイケメンや美女に見えていたのだろう。
アジア人以外はだいたい立派な筋肉を有しているし。

簡単に言えば、外人コンプレックスなんてのはB専男性の美女コンプレックスとほぼ一緒だったりする。
欧米人が長い年月を持って作り上げたほりが深くて色白で青目でブラウンヘアーがかっこいいなんていう下らないマーケティングの結果だ、くそくらえ、私はは色黒女性が好みなんだ!
なんて、そういう風に思ってみてから、だんだんと『あれ?同じこと思ってる!』『あ、一緒だ!』と思えることが多くなっていった。

だんだんと思ってくる。冒頭の歌詞のように、我々は生まれてきたときは、ほぼ変わりないものだったのだと。『文化の違い』というように、育ってきた環境が違うだけなのだと。
さりげないことだが、トロントの親友であるエルスンが働いているレストランのお客さんの忘れ物を拝借して、ハットを手に入れた時、ハットをかぶったあと、お気に入りの偽物のレイバンのサングラスをかけて、

『What do you think? I think this is too much』

と言ってきた。
日本語で言えば『やりすぎ』なのだろうが。
そんなファッションセンス一つとっても、一緒なことがうれしくて仕方がなかった。
英語も日本語と同じ言い回しを聴いては、感動を繰り返す。

『同じだ!!一緒なんだ!』

数週間前、ほぼ喧嘩別れのように私が家を出ていったっきり連絡を取らなくなったローラから突然連絡がきた。
最後のパーティを除いては、最後の何週間かはつらかった、それは楽しかったその前の時間を忘れてしまうぐらいに。
うれしい気持ちと、また楽しかった時のように話せるか、怖い気持ちを持ち合わせて。
それでも、楽しかった日々を思い返しては、彼女を思い返していた私は、会うことにした。

会っていみればなんてことはない、笑って話した。

努力家の彼女は、トロントで順調にサクセスをつかみ始めていて、身なりも前よりも大人っぽくなっていた。
『生活はましになったけど、地下暮らしで貧乏だった時をたまに思い出すの。』

同じだ。

『ずっと後悔してたし、申し訳ないと思ってた。』

同じだ。
バーを三軒梯子して、私たちは飲んで笑った。
育った環境が違うんだもの、好き嫌いは否めない。
でも結局はそれだけのことだ。

私たちは見た目は大きく異なっているかもしれない。
肌の色も、母国語も違うかもしれない。

それでも探してみれば共通項の方が多いはずだ。

今ならば思える。両親に近い歳の日本人と話すよりも、同じ世代の外国人と話した方が共感が多い。

国は違えど、抱えている悩みは葛藤は近かったりする。

今後どう生きるのか、どうするのか?

私たちは人間というカテゴリーに生まれてきた同じ生物だ。

嬉しくならないだろうか?
私たちは共感しあえる、理解しあえる、話し合える仲間がすべての大地にいるんだ。

違うなんて言わないで、共通点を探し出そう。

違いなんて、セロリが好きか嫌いかぐらいなもんさ、と。

続く…。


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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