3-13. 本音と建て前-トロント-

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もし目の前に異国の人間がいるとして、『日本人とは』なんていう曖昧な質問をされたときに、皆さまはどう答えるだろうか?

恥ずかしがりや、シャイ、スケベ、、、

または『本音と建て前』

これはきっと、多くの日本人が『良くて悪い所』と前置きした後に発するであろう言葉の上位にランクインすると私は思う。

我々は滅多に思ったことを口に出さないし、嫌ってても好きだと言い、好きな人には好きだと言えない。『なんて面倒な民族なんだ!』という嘆きと共に、『それが社会の潤滑油になっているんだ』なんてポジティブな意見が必ず出てくるだろう。

私はこの『本音と建て前』という人と接する上で必ず必要なものに、疲れてしょうがなかった。
思い返せば学生時代から、仲良くしてるように見える友人の陰口や悪口から始まり、アルバイト時代は『全然いいのよ!気にしてないから!』なんて言っていた人が、のちに上司にクレームなんてよくあることだった。

人間はそういうもんだ。心ではわかっていながらも、どうしてああも負の感情を抑えて爽やかな笑顔で人と接してられるものなのかと疑問に思いながら、ふとした時に目の前にある笑顔が『建前上』のものではないかと不安になった。今になっては褒め言葉の99%は受け入れなくなり、お叱りはすべて正しいと思うようになった。

『言葉を学ばなきゃいけない。言葉使いは大切だよ』

私が海外で出会った多くの人々は、教養云々の話ではなく、誰からも好かれるスキルを持っている。
早い話が、『人間が出来ている』のだ。
そんな人生の先輩方に上記のような言葉を何度言われたか分からない。
私はまだまだ未熟で、人間として確実に不完全である。

他と同じ趣旨のことを発しようが、その使い回しによって相手に与える印象は大きく変わり、相手が自分に抱く感情はまったくと言って違ってくる。

時として私は、思ったことを何に包むでなく、ストレートに発し、愛想笑いも建て前的な褒め言葉も発しない。しかし、時にふと気が付くと、目の前に涙や眉間の皺が見えて、自分の口が発したことがとんでもないことだと後になって気づくことがある。

そう、人と接することは、いろいろ考えないとダメなんだ。いろんなフィルターを通して、最終確認を怠らずに発しないとダメなんだ。

でも、きっと、そんなことにつかれた自分がいたから、今トロントで生きていても、母国語である日本語よりも、ボキャブラリーが少なく、使える言い回しの少ない英語の方が、ストレートに会話が出来て楽しいと思うのだろう。

それと同時に、時として『海外の人たちはストレートで好きだなぁ』なんて勘違いをしてしまうことがある。

しかし、思い返せばイラン、パキスタンを旅してる道中、何度この『本音と建て前』に出くわしたか分からない。
「俺がお前のトラブルを全部解決してやる!」と言って、気づいたら目の前から消えてた彼。
「是非うちに来いよ!ご馳走してやるから!」と言い、乗り気になると用事を思い出し始めた彼。

ロンドンの友人はブリティッシュと日本人の似ている箇所として、真っ先に『本音と建て前』を挙げた。

そして私のような貧乏旅行者が出会った多くの『本音と建て前』は建て前=手助けで、本音=金だったりする。

よく考えたら私も含め、自分に何の利益もないのに他人に無条件に手を差し伸べる『人間』なんてそうそういないもので。それこそが人々が『愛』と拝めるもので、それを続ける人を、『神の子』とか呼び始めるのだろう。

優しく丁寧と言われるカナダのトロントの人々だってそうだ、彼らは決して神の子ではない。
本音があって、建て前がある。

それを確信したのが先日、友人のDJつながりで仲良くさせてもらってる、長年DJとしてのキャリアを持ち、大学で教鞭をとっていたこともあるというアンディから聞かされた話でだ。

ストレートで入った大学を中退して、30歳になってから興味が出てきた分野に入りなおしたというアンディの話を聞いて、私が

「俺カナダのそういうところ好きだよ、日本だと30歳で大学入学すると確実にうくよ。」

というと

「いや、カナダでもうくよ。ストレートで入った学生達が大多数の中で、社会を見てから入った僕と彼らじゃ、もう世界の見え方が違ったからね。」

と教えてくれた。あぁ、また一つ『海外のいいところ』と『日本の特別悪いところ』が消えた。
いつもそうやっては勘違いを訂正させられる。私たちはどれだけ勘違いしているんだろう、いい方にも悪い方にも。

さて、DJであるアンディはカルチャーの発信地であるNYが大好きだという。大好きという気持ちと大っ嫌いという気持ちが混在するが、それでもNYには毎年足を運んでいるという。

「どうしてNYが好きなの」
と聞くと、彼から一番最初に帰ってきた答えが
「NYはね、例えば誰かが君のことを嫌いだったら、嫌いだってちゃんと言うんだよ。トロントはそうじゃない。」

ここで私は、うすうす気づいてはいたが、トロントの人々が「本音と建て前」を多用していることを確認する。
ストリートカーに乗ると、アンディは声を小さくし、周りを気づかいながら、私の質問に次々と答えてくれた。
「NYやほかのアメリカの都市がカルチャーを発信できて、どうしてトロントにできないのかは、DJの世界でも如実に表れている。」
「優秀なDJを皆で一緒に育てるよりも、アメリカから有名なDJを招いて大きなパーティを開きたがるんだ。」
「誰もがすでにあるものをフォローしようと努力している。でもカルチャーを生み出すには今あるものの先を見ないといけない。」
「それが北米第三の都市でありながら、有名な出身ラッパーがドレークしかいないことの理由の一つだよ。」
「これは、トロントだけじゃなくて、成熟してない新しい都市どこででも言えることだけど。トロントでは物事をストレートに言わない性格も作用していると思うんだ。表向きは仲良くやって、裏では足の引っ張り合いをしていたりするもんだ。」

アンディは自分の大好きな音楽やDJ、そしてそれに付随するカルチャーというフィルターを通して、世界をよく観察している。
とりわけ隣同士にあるアメリカとカナダの国民性の違いについて、この上なくわかりやすく教えてくれた。

何か一つをやり続けるということは、それを通して様々なものが見えてくるのだろ。
皆、何か続けていることはあるだろうか。大好きなものはあるだろうか。

私はそれがとても羨ましい。貴方にとってはそれが世界であって、それが世界を見せてくれる。

それでも、そんなものがなくても、アンディが合間に挟んだ言葉が私にも希望をくれる。

「それでも僕はここが好きだよ。だって僕の周りの友人達はちゃんとストレートに物事を言ってくれるし、足を引っ張ったりなんてしないからね。」

「結婚もしてないし、明日自分が何やってるか分からないけど。明日死ぬって言われたってまったく後悔はないよ。だってちゃんと今日を生きてきたらね。」

そう笑顔で話すアンディの周りには、すでに彼のユートピアが広がっているんだろうと思えた。

 

 

何か持っている人が周りにたくさんいる何もない私が、最近やっと見つけた無能な自分が生きる道が、誰かの足りない部分を補ってサポートしてあげること。
アンディがDJやカルチャーを通して世界を見たように。私も友人のDJやその周りを見てたくさんのことが見えてきた。自分では決して入り込めない世界に足を踏み入れてこれた。
今の私の楽しみは彼を今日よりもよりかベターな場所に連れていくこと、それをサポートすること。

もし興味があったらのぞいてみてください。
DJ Raimu: http://djraimu.com/ja/
Sync: https://www.facebook.com/Sync2014.to
(DJ Raimuのプロモートのために作ったコミュニティ)


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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