3-6. 新年-トロント-

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日本よりも一足遅れて、こちら西の大陸も新年が明けました。
31日に送られてくる多くの謹賀新年メッセージに、日本の友人たちと違う時間を過ごしていることを痛感します。

私の近況といたしますと、クリスマスは結局日本と変わらず、自分でパーティを主催し、不細工な寿司と生春巻き、美味しいチリ料理とトルコ料理で夜を越しました。
新年は、花火と野外ディスコで盛り上がったあと、気まぐれで入ったクラブがマイノリティの方々のためのクラブで、またまた私はゲイに縁があるのだと思わずにはいられませんでした。

さて、一年の振り返り、なんてしたら、ここに書くだけで一日が通過してしまうほど多くの出来事があった一年でした。
今でも思い出す、初めて上海の裏通りを見たとき、真夜中のデリー駅、インドの列車セカンドクラス、パキスタンでのソルジャーとのドライブ、イランでのイライラ、アルメニアからトルコにかけて築いた友人達、東欧落ち着く町並み、ヨーロッパの美しさ、そしてロンドン、ビクトリアコーチステーションでの友人の再会とイタリアでの楽しい日々。

それは、一年で区切るのではなく、区切りを一年と考えた場合に、私のなかでもう一昨年の出来事のようです。
ロンドンからトロントに来た時に、私の中で次の年が始まりました。

それは、落ち着いてしまえば旅とは比べ物にならないほど平穏で豊かな(物質的に)日々です。
『生きていくだけなら簡単』というのが、先進国である必須項目でもある気がします。

我々先進国で生きる人々は、生きる以上の付加価値を自分の人生につけなければいけないのだと、ここにいると本当によく思います。それは、世のため人のため会社のためというより、自分の人生を豊かにするために必要に思えるのです。

正直、仕事と睡眠、友人達との少しのチャットというサイクルで、この二か月は過ぎていきました。
それは少し勿体ないような気がする時もありますが、同時に私がここで生活していくために必要な時間でもありました。1月、つまりは2014年からやっと私のここでの目標に向けて歩みだす準備が整いました。

『何もせずとも時は過ぎていく』

これは大いなるプレッシャーでもあります。
何もしなくても生きていけるのだ、ただ自分が何かを得たいなら、体と頭にむち打ち行動し続けなければいけない。

私が過ぎ去った2013年からもらった最大のプレゼントは、『人生とはなんと面白いものなのだろう』という感情でした。
それは多くの方々との出会いそしてそれと共にあった別れ、経験が私に与えてくれた、とても大切な感情です。
私がここトロントにワーキングホリデーで来ることができたのも、その感情のおかげです。

このブログを見てくれていいるであろう方々がいるから、私には帰るべきところがあるから、私はずっと歩み続ける必要があります。

『私は本当に理解できないわ、あなたは一度だって家族と電話をしてない。私の国じゃ考えられないわ。』

チリ人のポーラが言うその言葉に、私は何故だろうと考えた挙句こういいました。

『今は家族を懐かしんでいる時じゃないんだよ、俺はここで君たちみたいな家族を作り、ここで前を向いて生活する、今は日本の友人や家族の事を考える時期じゃないんだ。』

私にとってこれは旅行でもなければ、休暇でもない。私の人生につなげるべき、点と点をつなげる線に過ぎないのだ。

私はまだ、日本に帰りたくないし、日本に帰るときも自分も含め皆様と笑顔で再会したい。

だから、どうか2014年も体に気を付けて生きてください。

では、あけましておめでとうございます。
今年も戯言で埋まる当ブログを是非よろしくお願いします。

続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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