1-1-1. キリストは何故生まれもうたのか-前夜-

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その話はバイク好きの友人からの一通のメールから始まった。

クリスマスツーリング行かない?

サンタの格好をしたバイクの乗りが性なる夜に渋谷をはじめとする繁華街で集団で走行してる姿を私は一度見かけたことがある。

てっきり暴走好きな兄ちゃんたちが本日ばかりは平和にと行っているのかと思っていたのだが
だれでも参加可能なイベントらしい。

毎年バイトでクリスマスシーズンを消化していた私だが、なぜか今年のイヴは休みをもらえるらしい。
『面白そうだ!』
と思い参加することを伝えた。

前年度は300人超の参加者がいたというそのイベント参加条件は『サンタのコスプレ』と『交通ルールを守る』そして『二輪車に乗っている』
とごくごくシンプルなものだった。

私は友人と梶ヶ谷のマクドナルドで集合して現地に向かうことにした。
友人を待つ数分の間でもそのマクドナルドからはサンタの格好をしたオートバイが10人以上出発していた。

訪れつつある祭りの予感に私の心は高ぶり、楽しさでいっぱいになっていった。

友人が来て、駐車場で話していると、横にいるCB乗りの中年男性もクリスマスツーリング参加者らしい。
せっかくなので、と一緒に現地まで向かうことにした。
世はクリスマスムード一色、横断歩道を渡る人々もどこか浮き足立って見えた。

渋谷を超え、銀座に近づいてきたとき、CB乗りの男が前方を指した
『あれに合流しましょう』
前方を見るとサンタやトナカイの格好をしたさまざまな車種の人々が10人以上、列をなして走っている。

『おぉ…』

これが300人以上連なって走るのかと思うと私はわくわくが止まらなかった。
すれ違う人々も手を振り、体は寒くとも心があったかくなる光景であった。

私が気付かなかっただけで、後ろにも数台、サンタクロースがついてきている。

何台か横を追い越した二人乗りのサンタカップルも見かけた。

東京の、いや、日本中のバイク乗りが晴美埠頭に集結しようとしていた。

バイクという一つの趣味を通して、日常ではすれ違うこともしない人々が同じ道を走ろうとしているのだ。
日本の性なる夜、日本男児の精が飛び交う夜に、多くの男子が女子の股広げ乗り込もうとしている今
我々は大きな鉄の塊にまたがり、見世物になろうが、自分たちの存在を証明する。
そこにあるのはさみしさだろうが、楽しさだろうが、それでも我々にとってはきっとセックスよりもプレゼントなんかよりも大切なものなのだろうと思っていた。

勝鬨橋を超えた私達は友人のまた友人と合流し、寒さの中赤色の衣装に身を包み、出発地へと出向こうとしていた。
今日はきっと楽しい夜になるに違いない。スタンドを上げ、キーを回す…あれ?

何故かキーがすでにまわっていた、『ON』の状態になっているじゃないか。

まぁいいかと思いセルをまわして点火しようとするがウンともスンとも言わない。

これはトラブルランキングの上位に位置する『バッテリー上がり』というやつか。

なんてことだ、浮かれた私はなぜか電源を入れたままオートバイを放置してしまっていたのだ。
出発まで残り時間が少ないなか、友人と押し掛けをするがエンジンは咳き込むだけ。

申し訳ないので『先に行ってくれ』と伝えて私は独り走ってはギアを入れ、走ってはギアを入れ…と繰り替えしてみた。

しかし私の相棒は全く動いてくれる気配がない。

諦めかけたとき、目の前に自動車修理工場が見える。
『日産』と書いてあるが、ものは試しだと訪ねてみる。

『充電はできないけど、押し掛けなら手伝います』
と『若いころは私もバイクを乗ってました』という整備士の人々は優しく手伝ってくれた。

二人が押して私がギアを入れる作業を2~3回繰り返すと、相棒はようやく息を吹き返してくれた。
事前に『お金はいりません、そして動いたらそのままちゃんとしたところに走り去ってください』と言われていた私は『ありがとうございます!!』と叫びながら集合場所に向かおうとしていた。

向かおうとはしていたのだ。

しかし曲がり角を曲がった瞬間にまた止まってしまった。

これ以上整備士の方々の良心に甘えるわけにもいかず、自分で試したのだが、先ほどのが最後の一息だったのだろう、まったく動かない。

『これは合図かもしれないな…』

私は思っていた。

今回が終わったらと決めていたわけではないのだが、私は今のバイクと来年の春を迎えるつもりはなかった。
もう長くは乗れないと思っていたし、春からの私の新たな旅路を共にするのは不可能だったからだ。

確かに問題はバッテリーだろう、変えればいい話かもしれない。
しかし、もはや生活の一部としてバイクが存在している私がずるずると持ち続けることをやめるにはいい機会だと思ってしまったのだ。

だが、買い取り先に連絡をしても、やはり21時ではどうしても後日以降となってしまうらしい。

不安はあったが近くの公園に一時的に置かしていただき、明日とりに行くことに決めた。

私は勝鬨橋から銀座まで歩く道の中で、どことなくさみしさを感じていた。
私は俗にいう『バイク乗り』ほどバイクに乗ってもいなかったかもしれない、しかし思い出の多くに、親友以上に登場するのは黒色の彼だった。

まるで恋人に振られたように、まるで友人と離れ離れになってしまったように
また、今日がイヴだと思いだし、少しセンチメンタルな気分にさせられる。

遠くに見える東京タワーも今日は特別な光り方をしている。
銀座ではどんなに高齢な人も異性と共に歩いている。
ウィンドウは艶やかに光り、人々はその光と共に幸せに光っていた。

地下鉄に乗り込むと、誰もがケーキやプレゼントを片手に座っている中
私には単身赴任している父からメールが届く

『イブを楽しんでるかな!(^o^)!』

私の父は赴任の寂しさからなのか、いつも手のひらサイズのツリーやよくわからぬサンタの人形を添付してクリスマスにメールを送ってくる。

この時ばかりは実の父ながら少し殺意が芽生えてしまった。

楽しいわけがなかろうが…。

表参道で乗り換える時、わたしはバイト先の友人に慰めてもらおうと決めていた。
あそこにはユダもいない、ヨハネほどではないが私を愛してくれる友人達がいる。

なによりマリアがいる。

押し掛けで疲れた体と、今にもくじけそうな心を必死に駆り立てて、ケーキを片手に私はバイト先へ出向いた。

バイト先の皆は私の話を笑って聞いてくれ、先ほどまで一緒に過ごしてきてしまった。
多くの罪を作った私への、これはきっと罰なのだろう。
異性でなくとも、多くの人とクリスマスを過ごそうと思った私への戒めなのであろう。

だが、それだとしてもキリストにとってのマグダラのマリアのような
そんな存在と帰路を共にできたことは神に感謝しないといけないと思う。

父と子と精霊の御名において アーメン。

家に帰ると私の聖母から枕元にプレゼント、去年と同じく靴下が。

ありがたさを身に沁みながら布団に入ります。明日何かプレゼント買ってこないとな…。
続く…


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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