マリアの処女膜を突き破り、キリストがこの世にこんにちわしたその日、私は6年間連れ添った愛車とさようならしようとしていた。
前に記述した通り、私は昨日300人超のサンタに見捨てられた形で晴美埠頭を後にし、そのあとバイト先の友人たちに慰めていただいた。
当然、イブとあり、私は酒を飲んだ。
呑んでしまったのだ。
朝、気が付くとベットの中、寝てしまっていたようだ。
昼の3時…
・・・!?
今から急いでオートバイを取りに行って帰ってきても3時間はかかる
今日のアルバイトは6時からだ。
しかし二晩も置きっぱなしは駐禁が怖い。
なんだかんだ金感情で手放す覚悟を決めた私はそんなくだらないことで国に金を渡したくない。
バイト先には遅れる旨を伝えて、とりあえず現地に向かいながら買い取り先に連絡する。
バイク王は『どんなバイクでも買い取ります』と謳ってるくせに『5000円頂戴する可能性がございます』だと。
車体の状態に全くの自信がない私はそれはマズイと思い断った。
結局勝鬨橋近くにあるオートバイショップに来てもらった。
『CB400SFなら少なくとも金額はつくでしょう!』
さすが自らを王様と謳う裸のそれとは違う。
『お願いします。』と言ってきてもらう。
放置していた公園から店に向かう途中、店主は私に問う
『もう…降りちゃうんですか?』
そもそも私は何故バイクに乗っているんだろう?
車検にも通し、トラブルと戦いながらも6年間手放さなかった理由はなんなのだろう?
思い返すと私が免許をとった高校一年生、16歳の時は何より縛られていることが大っ嫌いだった。
自由でいたかったのだ、それは好き勝手にしたいというものとも違う、決して暴力的なものでもない。
道がある場所ならどこだって行ける、そんなバイクに憧れた。
バイクがあれば、好きな時に好きな場所に行けるんだ。
徒歩だって、自転車だって行けるじゃないかと思うかもしれないが、
エンジンは私により自由のイメージをもたらしてくれたし、何より『自分ひとりでは行けないところも、バイクなら連れて行ってくれる』という感覚が強かったように思う。
今なら考えられないが、月5万円のバイト代をほとんど使わないで60万円貯めたことは褒めてあげたい。
今思い返しても高校1年生の時などめったに遊んだ記憶がない。
当時好きだった女の子に振られて、次の日学校を休んで湘南に海を見に行ったこともあった。
行きは2時間で行けたのに帰りは5時間近くかかってしました。とんだ方向音痴である。
友達と毎週のように横浜の大桟橋に足を運んで『彼女が欲しい』と嘆いていたこともある。
キャンプもしたし、死にそうになりながら静岡の父親の家までツーリングをしたりもした。
富士山を上るときは暗闇と寒さと雨でそこでお亡くなりになるのかと思った。
事故も起こした、何回も立ちごけした。
趣味は何ですか?と聞かれて、バイクやらツーリングと答える人々ほど私は乗ってあげなかったかもしれない。
メーターを見ても、6年間乗った距離ではない。
それでも私の6年間に彩りを与えてくれて、多くを学ばせてくれた。
大切な大切なバイクだった。
『残念ながら値段をお付けすることはできませんね…』
電話対応の時の言葉はなんだったのか、店主は申し訳なさそうに言ってくる。
しかし私だってあの状態を見れば値がついてもたいしたものじゃないのは分かる。
これが『プライスレス』というヤツか。
そう思いながらも、今度は自分の『足』で自由を掴み取ると。そう誓いながら。
『よろしくお願いします』
帰り道で少し悲しい気分になった。
静岡に行ったときに青春時代を自慢する父親に友人と二人で放った。
『でも親父の人生にはバイクがなかったじゃないか。』
バイクだ、バイクじゃないとだめなのだ。
自転車でも車でもだめだ、風を切って連れて行ってくれる、どこまでも連れ去ってくれる。
必ずまた乗ろう。
売ったそばから次は何の車種にしようかなと考えている。
私が大学生活でやり残した唯一のことは北海道ツーリングである。
いつか必ず叶えたいものだ。
それまではとりあえず歩こうと誓う、相澤であった。
…キリストは何故生まれもうたのか-完-