1-2. 若き日に汝の…

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昨日の15時、私は1年間の研究の集大成といえる卒業論文の提出を終えた。

理系以外の諸君が続々と休暇を開始する中、人々がチョコを理由に女性の股開き、ポッキーを溢れ出すフォンデュの中に入れようとしていた頃、私は一人、地下の暗がりの中、淡々と論文を書いていたのであった。

論文の提出は、その論文が通るか、卒業の認定が下りるかは別として、いったん卒業に向けて行わなければいけないことが終了したことになる。

思い返せば、あまりに研究室に行かなかったために合同研究を外れてから3カ月、優しい先輩方や質問に真摯に時間をとって答えてくれた(そのせいで担当講義に送らせてしまったこともありました…)先生がいなかったら。
何より元合同研究の方々が協力してくれなかったら私のこの論文提出はあり得なかっただろう。

感謝です。

論文提出の後は、一年間のうっ憤を爆発させろということなのか、学校側及び実行委員の粋な計らいである。
大学で堂々と酒が飲める機会、立食パーティであった。

教授助教授准教授。お偉い様たちが一堂に会する中、玉に書かれた数字で運命が変わるゲームで当たった人々に飲ます私。
演説に野次飛ばす私。

立食バーティでは様々なお世話になった先生方と話す機会を頂いた。

口をそろえておっしゃることは『よく卒業論文提出までこぎつけたな。』

『何をおっしゃいますか』と言いかけたところで、私の記憶がフラッシュバックする。
大学一年では明け方まで酒を飲むバイトのため、酒臭く講義に出席
鍵のかかった教室の前で仮眠
大学2年には睡眠の時間を授業にあて
大学3年では就活を理由に休み
大学4年ではあの出来の悪い発表を先生達は聞かされていたのだ。

確かに『よくここまでこれた。』

大学の講師とはよくわからぬもので。中学や高校とは違い、その距離感は明らかに遠かった。

しかし気にかけてくれる先生はいたのだ。
会うたびに『どうするんだ』と聞いてきてくれた先生方。

昨日はその答えとして『こうするのだ』と答えられるいい機会だったように思う。

ここまでこれたのは『ここまでこさせてくれた』先生方のおかげであります。

これもまた、感謝です。
そして何より感謝しなければいけないのは、オタクが学科の大半を占め、形見の狭い思いを強いられていた我々同志友人である。
彼らがいなかったら…と考えると私の大学生活は恐怖である。
つまらないなんてものではない。
ゴキブリ100000匹の檻に一緒に入れられたカエルの気持ちだろう。

時に笑い、時にふざけ、授業を一緒に寝た大学1・2年の時の若かりしあの時代を
昨夜は少しだけ思い出せた気がする。

彼らと出会ってなければ私の人生は多少違ったものとなっていただろう。

『結婚式あったら誰呼ぶ?』
と質問をしていたが。
一晩立って、私の大学生活の大きな部分を彼らによって支えられたことを考えると
全員呼んでやりたい気持ちになる。

その前に私の恋事情なんぞに興味はないだろうし、その前に相手などいないのだが。

この感謝の記事と共に、私の辛く楽しい大学生活、研究室生活とはオサラバである。
名残惜しいが、同時に肩の荷が下りたような軽々しさである。

次また皆に会うときは卒業式か。
そのあとは成長した皆と思い出話に花を咲かせたみたいものだ。

ありがとう大学よ、『若き日に汝の希望に星をつなげ』


Hokuto Aizawa
世の中にあきれられた一人の男が、世界を半周した後、北国カナダのトロントにて庖丁に出会う。日本に帰国後、ふらふらしながらも目の前にある美しい事々を見逃さないように暮らす。

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